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千葉市トップページ教育委員会事務局 > 生涯学習部 > 生涯学習振興課加曽利貝塚博物館 > 加曽利貝塚 保存の歴史

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更新日:2010年4月24日

     加曽利貝塚の保存の歴史

   

1887年

(明治20)

上田英吉の「下総国千葉郡介墟記」(東京人類学雑誌2-19)によって、加曽利貝塚の存在が学会に初めて紹介された

 

 

1907年

(明治40)

東京人類学会が「遠足会」の名目で加曽利貝塚の規模を調べ、「本邦第一の貝塚」であると確認した。

 

 

1922年

(大正11)

東京大学人類学教室が試掘により人骨を発見。大山柏が実測図を作成。

 

 

1924年

(大正13)

東京大学人類学教室によるB・D・E地点の3ヶ所の調査実施。層位学的発掘による土器編年を意図した調査であった。

 

 

1936年

(昭和11)

大山史前学研究所により、加曽利貝塚全域の貝層分布と周辺地形が総合的に調査された。

 

 

1937年

(昭和12)

山内清男によって縄文時代の土器編年がまとめられ、このなかで「加曽利E式」は中期後半に、そして「加曽利B式」は後期の中頃に位置づけられた。

 

 

1958年

(昭和33)

明治大学考古学研究室は東大人類学教室がE地点と名付けた東側に7ヶ所のトレンチを設定して、発掘調査を行い、加曽利E式にはI式とII式があることを確認した。

 

 

1960年

(昭和35)

郵政互助会が加曽利貝塚周辺を買収。
   

1962年

(昭和37)

千葉市教育委員会が加曽利北貝塚の2地点で発掘調査を行い、重複する7軒の竪穴住居と6体の人骨を発掘した。この発掘には、県立千葉高校・加曽利中・早稲田大学の学生も参加した。この発掘の後、1ヶ月はトレンチの埋め戻しを中止して一般に公開して遺跡の重要性を市民に訴えた。

 

 

1963年

(昭和38)

加曽利貝塚のある土地は当初郵政互助会が所有していたが、後に松島炭坑株式会社に売却された。

その後の昭和38年1月頃、東洋プレハブ工業が買収して整地作業を開始し、南貝塚の一部を破壊するに至って、加曽利貝塚の保存運動は急速に高まっていった。

2月

日本考古学協会の文化財保護対策協議会は、

 

1 加曽利貝塚を直ちに指定史跡にすること。

2 その全域を買い上げること。

3 現地を公園化し、野外博物館的施設をつくること。

 

という保存のための三項目を骨子とした「加曽利貝塚保存に関する要望書」を作成、国・県・市に提出した。

3月25日

千葉日報は一面に「加曽利貝塚を守ろう」と題し、その重要性と破壊の危機を大きく訴えた。

4月3日

千葉日報は武田宗久氏(故人)の「加曽利貝塚の保存」と題された当局の善処を求める文書を掲載する。

4月6日

千葉市文化財保護審議会長の武田宗久氏は宮内三郎千葉市長に面会し、加曽利貝塚は静岡県の登呂遺跡、大阪府の仁徳天皇陵、奈良県の平城京跡と同等の価値のある遺跡と説明した。市長は全面協力を約束した。

6月18日

参議院文教委員会で、文部省は「一つの貝塚を2万坪もあるものを買えというのは無理」と答弁。 

6月21日

加曽利貝塚を守る会(会長千葉大学学長長谷川久治)が設立総会を開いた。席上、来賓の東大教授の江上波夫氏は「加曽利貝塚は日本国内より世界的に著名」と述べ、総会参加者を感銘させた。

6月26日

加曽利貝塚を守る会による保存の為の街頭署名活動がおこなわれ、1万768名の署名を衆参両院に提出した。

7月16日

宮内三郎千葉市長は、加曽利貝塚を守る会理事会の席上で、貝塚保存のために6000万円の予算措置をした、と発言。

7月17日

NHKは「加曽利貝塚を守ろう」を放送した。

 

 

1964年3月18日(昭和39)

千葉市は北貝塚の5万5152平米を買収、これに建設省からの補助金により、公園として整備する事となった。しかし、南貝塚については保存の手が打たれないまま工場用地の材料置き場となっていた。このような南貝塚の現状に加曽利貝塚を守る会と文化財保護対策協議会は早急に発掘調査を実施し、発掘で明らかになった事実をもって保存の必要を訴える他に道はない、という結論に達し、日本考古学協会に調査を依頼した。

同時に千葉県・市教育委員会も連名で日本考古学協会に調査を依頼した。5月、日本考古学協会総会はこの問題を討議した結果、「学術調査によって重要性を明らかにすることによって保存の必要性を計るべきである」という意見が採択され、日本考古学協会に加曽利貝塚調査特別委員会が結成され、7月より南貝塚の発掘を開始した。

1964年~

(昭和39)

日本考古学協会の調査により、加曽利北貝塚は貝層がドーナツ状をなし、その直径約130m、南貝塚は3つの半月状の貝層が複合して馬蹄形をなし、直径約170mあり、2つの貝塚が8字型に連結するという全国に例を見ない巨大貝塚である事が判明した。この調査には明治 ・早稲田・慶応 ・東大・國學院等の大学生、県立千葉高・東金 ・茂原・千葉経済の高校生も参加し、その合計は延べ3千人を越えた。

 

 

1965年

(昭和40)

日本考古学協会による加曽利貝塚を全面的に保存すべきだとする要望書が国に出される。

 

 

1966年11月24日(昭和41)

 千葉市立加曽利貝塚博物館開館。

 

 

1967年

(昭和42)

北貝塚発掘調査。

この年から昭和47年にかけて南貝塚の貝層部分が買収される。

 

 

1968年

(昭和43)

北貝塚に住居跡群観覧施設および貝層断面観覧施設が設置・公開される。野外施設整備開始。

 

 

1969年

(昭和44)

大須賀家住宅移築。

博物館、新井司郎氏への縄文土器製作技術研究委託開始。

 

 

1970年

(昭和45)

加曽利貝塚調査団により加曽利南貝塚(東傾斜面)の第1次遺跡限界確認調査。 

 

 

1971年3月22日(昭和46)

北貝塚史跡指定告示。

6月~

第2次南貝塚限界確認調査
   

1972年5月~

(昭和47)

第3次南貝塚限界確認調査
   

1973年

(昭和48)

 東傾斜面より縄文後期中ごろの巨大な祭祀的竪穴住居状の遺構が発見される。

10月

 昭和天皇・皇后両陛下ご来館。皇太子・皇太子妃(現天皇・皇后陛下)ご来館。 

 

 

1974年9月

(昭和49)

加曽利貝塚土器づくり同好会発足。
   

1977年9月

(昭和52)

南貝塚及び南貝塚東傾斜部が国史跡に指定される。

 

53年にかけて北貝塚の東側平坦部から傾斜部の買収がおこなわれた。

 

浩宮殿下(現皇太子)ご来館。

 

 

1978年9月

(昭和53)

南貝塚・南貝塚東傾斜面買収(72,710平米)
   

1986年

(昭和61)

加曽利貝塚博物館開館20周年記念特別講座「加曽利貝塚の自然と文化」を開催。

南貝塚史跡指定告示(追加分)

 

 

1994年3月

(平成6)

南貝塚貝層断面観察施設竣工。
   

1997年1月~

(平成9)

北貝塚貝層断面・住居跡群観覧施設再整備。

  

 

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このページの情報発信元

教育委員会事務局生涯学習部生涯学習振興課加曽利貝塚博物館
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