更新日:2016年8月30日

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平成23年度心の輪を広げる体験作文 高校生部門最優秀賞受賞作品

心の輪を広げる体験作文

千葉市最優秀賞受賞 作品

【高校生・一般部門】

私の十年


池田留実子
(植草学園大学附属高等学校)

私は障害者です。五才の時、突然筋肉の病気になり障害者になりました。障害者ではなかった頃の記憶はほとんどありません。でも自由に走っていたことをなんとなく覚えています。
病気はどんどん悪くなり体中がいつも痛くて自分でできないことがどんどん増えていきました。手が上がらなくなり、着替えが自分で出来なくなりました。そして走れなくなり、長く歩けなくなってきました。みんなと同じことがほとんど出来なくなってしまったので小学校では母がいつも一緒に居てくれました。
でも私は見た目が普通なのでさぼってるとか、なまけてるみたいにかん違いされるのが辛くて学校に行けなくなりました。だから三年生の時、養護学校に転校しました。
でも私は何日もしないうちに養護学校にも行けなくなってしまいました。養護学校のお友達は誰もお話しができなくてどうしたらいいのかわからなかったからです。
学校の先生方や校長先生達がいろいろ考えて下さって私は元の小学校に戻りました。その頃はもう長く立っていられず、車椅子を使うようになり母がいつもついててくれました。
私は合唱部に入りました。歌うことが大好きで部活は休みませんでした。朝練も夏休みの練習も頑張りました。この合唱部はNHK全国コンクールで三位にもなりました。私もたくさんのコンクールにみんなと一緒に出場しました。本当に嬉しかったです。私はみんなと同じ動きが出来ないので迷惑をかけることばかりでした。合唱部の先生が私のことを考えて下さったのでみんなと同じことが出来ました。コンクールの係りの人がコンサート会場でおんぶして移動して下さったこともありました。合唱部でたくさんの感動を経験しました。
でも私の病気は悪くなっていって五年生の時、横浜の病院に長く入院することになり院内学級に転校することになりました。
私は合唱部を辞めるのが嫌でたくさん泣きました。病気のせいで指があまり動かないので小さい頃から習っていたピアノもエレクトーンもフルートも辞めました。音楽が大好きなのに楽器は何もできないので歌うことしか出来ないからどうしても合唱部を辞めたくなかったのです。
合唱部でお別れ会をやってくれました。私はずっと泣いてました。先生もみんな泣きながら歌ってくれました。今までの合唱曲のMDや色紙そして千羽鶴をもらいました。先生は「合唱は、いつでもどこでも誰とでもできる」と言ってくれたので勇気が出ました。
私の病気は珍しい病気らしいのですが横浜の病院には同じ病気の子供が何人も入院していて友達になりました。体のことも辛いことも全部同じで夜中じゅうしゃべり看護士さんに怒られることもよくありました。
治療は苦しくて吐くこともありましたが友達も同じように治療しているので頑張りました。
横浜の病院の治療がきいて病気の炎症がなくなりました。
退院後は元の小学校には戻らず養護学校に通うことになりました。前転校したし体不自由の養護学校ではなく病弱養護学校です。
その学校は普通の学校と同じ授業をしていてみんな見かけは健康だけど病気を持っています。一学年五人くらいしかいませんが担任の先生も五人くらいいます。病気に理解のある学校なのでのびのびと通えることが出来ました。病弱のクラスとは別にし体不自由の人のクラスもあり行事も全部一緒にやります。
この学校では車椅子の人でも呼吸器をつけた人でもお話しのできない人でも工夫をすれば運動会も修学旅行も文化祭も体育の授業だって参加できるのです。
私は前の小学校では体育はできず運動会も参加すらできず文化祭も見てるだけでした。
でもこの学校は私の夢をすべて叶えてくれました。私の一番の夢の応援団長もやりました。
私はこの学校に通いながら横浜の病院に通院したり、リハビリで入院したりしてどんどん病気が良くなっていきました。車椅子を使わなくなってウォーカーも使わなくなって一人でも歩けるようになりました。
高校からは普通の高校に通えるかもしれないくらい回復しました。できないこともありますが工夫をすればなんとかなる自信がありました。
四街道特別支援学校は大好きです。でもやっぱりたくさん友達がいる学校に行きたいし部活とか普通の女子高生に憧がれていました。
でも入院とか通院とかリハビリばかりでちゃんと勉強をしていない私は本当に成績が悪かったのです。薬の副作用もあってだるい日も多かったのです。でも普通の高校に行けるとわかってからは絶対に欠席はしませんでした。
猛勉強もしました。毎日何時間も勉強するとグングン成績も上がりました。
でも十二月入りたかった学校に断られてしまいました。体に悪いところがある生徒は受験さえさせてもらえませんでした。泣きました。何のために今まで頑張ってきたのか分からなくなりました。
そして先生が探して下さった福祉大学の附属高校に両親と行きました。その学校は私を優しく受け入れてくれました。私はこの学校に入りたいと心から思いました。そして受験して合格しました。
特別支援学校は病気の子の心も体も守ってくれました。でもそのおかげで私は心も体も強くなったのです。
私は高校入学が楽しみで仕方ありませんでした。やっぱり音楽系の部活に入りたくて吹奏楽部に入りたいと強く思いました。私にできる楽器はないかなと思って近くの楽器屋さんに行き、店員さんに手の障害のことを相談したら真剣に楽器を探してくれました。そして私の指でもトランペットができることがわかりました。
そして今私は大好きな高校の吹奏楽部でトランペットを担当しています。私の体を先生も友達も先輩も理解してくれます。できることが増えている今、私は最高に幸せです。
障害者の私を受け入れてくれた高校に感謝しています。
障害のない人が障害者のことをほんの少し気づかってくれると障害者はできることがどんどん増えます。私も、私より障害の重い人にそうしたいと思います。障害のある人もない人もみんな仲良く楽しくしていけることを願っています。

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保健福祉局高齢障害部障害者自立支援課

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ファックス:043-245-5549

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