七夕平和プロジェクト

更新日:2021年6月25日

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七夕平和プロジェクト

プロジェクトの概要

千葉市は1921年(大正10年)1月に千葉町から千葉市となり、令和3年に100周年を迎えました。この大きな節目に千葉市の100年間の歩みを振り返るとともに、1945年の大きな空襲により多くの尊い命が犠牲になった痛ましい歴史を風化させることなく平和の大切さを考えるきっかけするため、本プロジェクトを企画しました。
市内の小学校・中学校を通じて、児童・生徒にお配りするリーフレット(本サイト内にも掲載)には、本市の歩みとともに本市の空襲の被害やその後の復興の様子について記載してありますので、ぜひご家族でご覧ください。
また合わせてお配りする短冊は、子どもたちが短冊に願いを記載する中で、自身やまちの将来について考えるきっかけとしていただくためご用意しました。願い事を記載した短冊は、ご自宅で飾っていただくほか、以下の商業施設などに飾りつけできます。
あわせて、本市の先人たちが残した世界にも誇れる業績を知っていただくため、令和3年1月に制作した記念漫画もホームページ上でご覧いただけます。
この機会に、ご家族での本プロジェクトのご参加をお願いいたします。

 千葉空襲から戦後の復興

現在、わたしたちは平和な生活を送っていますが、約80年前の戦争では千葉市も何度も空襲を受け、多くの尊い命が失われました。いつまでも今の平和が続くよう、私たちに何ができるのかを考えてみましょう。

千葉空襲

千葉市上空を飛ぶB29の編隊(「千葉市空襲を記録する会」提供)

1931年の満州事変に始まり、1945年に太平洋戦争が終わるまで、日本は15年にもわたる戦争が続いていました。
長い戦争の中で、千葉市も1945年に2度の大空襲があり、中心市街地の約7割が焼け野原となるなど、大きな被害を受けました。
1度目は6月10日、当時軍用機を作っていた日立航空機千葉工場を目標とした空襲を受け、蘇我地区や千葉駅付近で391人の死傷者が出ました。
2度目は7月7日、午前1時39分から3時5分までの間、129機のアメリカ軍の飛行機・B29による夜間の無差別爆撃を受け、目標となった中心市街地は火の海と化しました。1,204人もの死傷者を出したこの空襲は、「七夕空襲」と呼ばれています。

 

 

 

焼け野原からの復興

1945年8月15日、日本が降伏したことにより、太平洋戦争は終わりました。
長期にわたる戦争に加え、2度の大空襲により、たくさんの家が焼かれ、食べ物にも不自由するなど、人々の生活はとても苦しいものでした。
しかし、このような状況の中、人々は、まちの復興に向けて必死に立ち上がりました。
そして、終戦から35年をかけ、1980年に千葉市の戦後復興事業が完了しました。

1946年の千葉銀座通りのヤミ市

 

戦後の栄町通り

 

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 七夕空襲を体験した方のお話

 岡本まさ子さん

岡本まさ子さん

小学校5年生の時に七夕空襲を経験。自宅は中心市街地から離れていた(現在の若葉区)が、2発の焼夷弾が落ちたことにより全焼した。

インタビュー動画(抜粋)

  • 戦時中の生活
  • 七夕空襲の日
  • 終戦の日
  • 戦後の生活の変化
  • 子どもたちに伝えたいこと

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短冊を飾ることができる店舗・施設

短冊に願い事を書いて、以下のお店等に飾りましょう。(以下の画像をクリックして詳細を表示)
※来店時は各店舗の感染症対策のルールに従ってください。また発熱や体調不良がある場合は外出をお控えください。

アリオ蘇我 イオンモール幕張新都心 イトーヨーカドー幕張店 しょいかーご千葉店 そごう千葉店 フレスポ稲毛2

その他、短冊をかざることができる公共施設(詳細はこちらをクリック)

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