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更新日:2023年12月19日
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加曽利貝塚は、直径140mでドーナツの形をした縄文時代中期の北貝塚と、長径190mで馬のひづめの形をした縄文時代後期の南貝塚から成り、隣接する両者を上空から見ると8字形をした、日本最大級の貝塚です。
また、貝塚としてだけでなく、集落跡としても極めて高い価値が認められています。同じ場所に2,000年間(約5,000~3,000年前)にわたり繰り返しムラがつくられ続けていました。
現在、約15.1haが国の特別史跡に指定され、加曽利貝塚縄文遺跡公園として親しまれています。
日本全国で縄文時代の貝塚は約2,400ヶ所といわれ、このうちの約120ヶ所が千葉市内に集中しています。
千葉市には、加曽利貝塚の他に、中央区仁戸名町の月ノ木貝塚・若葉区貝塚町の荒屋敷貝塚・花見川区さつきが丘の犢橋貝塚・若葉区加曽利町の花輪貝塚が国の史跡として大切に残されています。
加曽利貝塚は、1960年代に開発の危機にさらされますが、県立千葉高校の社会科教師だった武田宗久を中心とした多くの市民の活躍により、当時ほとんど前例がなかった市民主導の遺跡保存運動が全国的な広がりをみせ、保存につながることになりました。また、遺跡保存が国会で議論されるきっかけの一翼を担い、その後の文化財保護に多大な影響を与えました。
加曽利貝塚について、詳しくは「千葉市立加曽利貝塚博物館ホームページ」をご覧ください。
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