更新日:2023年11月17日

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大賀ハスの仲間

大賀蓮と他品種の蓮を交配して作出した大賀蓮の仲間があります。大賀蓮と王子蓮(黄蓮の一種)の交配種である「舞妃蓮(まいひれん)」や中国古代蓮と大賀蓮の交配種である「中日友誼蓮(ちゅうにちゆうぎれん)」が代表的な品種として知られています。
この他、大賀蓮の仲間には、紅舞妃蓮(舞妃蓮の自家受粉種)、剣舞蓮(舞妃蓮の自然交雑種)、明光蓮(大賀蓮と蜀紅蓮の交配種)、瑞祥蓮(舞妃蓮と蜀紅蓮の交配種)、昭美蓮(大賀蓮と舞妃蓮の交配種)、友誼紅3号(中日友誼蓮と紅碗蓮の交配種)などがあります。

 ※本ページは、過去にみなと公園で咲いていた品種を紹介していますが、現在はご覧になれません。(令和5年11月現在)

舞妃蓮と中日友誼蓮

千葉市では、昭和62(1987)年4月17日、和歌山の阪本弘子氏(阪本祐二氏※夫人)から分根していただいた「舞妃蓮」と「中日友誼蓮」を吉田公平氏(千葉市文化財保護審議会委員当時)によりみなと公園(千葉市中央区)に植え付けました。 ※阪本祐二氏は、大賀一郎博士の愛弟子で和歌山県日高高校に奉職する傍らハス研究に専心されました。

【舞妃蓮(まいひれん)】

昭和35(1960)年秋、訪米されていた皇太子御夫婦にアメリカ在住日系人の小川一郎氏からアメリカ黄蓮の実が託されて、日本に黄蓮が再びもたらされた。この蓮の実は大賀博士に渡され発芽、育成された。それを阪本祐二氏に分根され1962年、阪本氏宅で開花し、皇太子殿下に因み「王子蓮(おうじばす)」と命名された。
その後、阪本氏によって「大賀蓮」と「王子蓮」の交配がなされ、昭和41(1966)年6月21日、薄黄色で弁の縁は淡い紅色で大賀蓮の淡紅色と王子蓮の黄色の両方の花色が見事に調和した花が開花した。花弁数22~25枚、花径30~32cmと大きな花容である。「花弁が閉花の時捩れるが、これは王子蓮から受け継いだ黄蓮の特徴をよく現している。
このように、優美で艶やかな花に阪本氏は美智子妃殿下の美しい容姿をこの花の姿に映して、東洋的な名前の『舞妃蓮』にしたのでしょう。」と阪本弘子氏は「蓮の話」1996年夏号に寄稿された。阪本氏はこの蓮を皇太子御夫婦に見ていただくため献上された。舞妃蓮は誉れ高い花ハスである。(以上、「大賀蓮の仲間」南定雄より)

舞妃蓮(開花1日目)花弁頂部が淡紅色

舞妃蓮(開花2日目)花弁の縁が淡紅色

舞妃蓮(開花3日目)閉花時、花弁が捩れる

舞妃蓮(開花4日目)花弁の退色が進む

舞妃蓮

舞妃蓮

【中日友誼蓮(ちゅうにちゆうぎれん)】

昭和38(1963)年、大賀蓮の実100粒(千葉公園ハス池の実と和歌山の実)を中国科学院院長・郭沫若氏に「蓮平和象徴也」という大賀博士の墨書と共に、阪本祐二氏が贈った。この実は北京、杭州、武漢など10か所に植栽され昭和40(1965)年開花した。中国科学院武漢植物園では中国古代蓮と交配させ、「中日友誼蓮」という品種を作出した。花径28cm前後の大きい品種と24cm前後のやや小さい品種がある。いずれも花色は紅色で花弁数は22枚前後。
昭和41年「人民日報」でこの蓮の記事を見つけた阪本氏は、中国科学院に実の寄贈を依頼した。中日友誼蓮の実10粒は、「願這種中日人民友誼之花早日在日本結実(中日人民友誼の花の種なり、早く日本で実を結ぶことを願う)」として阪本氏へ贈られた。その後中国では「四人組事件」等の社会混乱により、中日友誼蓮は絶滅してしまった。昭和54(1979)年に武漢植物研究所は阪本氏に分根を要請し、来日した鄧穎超女史に分根を託して中日友誼蓮は中国へ里帰りした。(以上「大賀ハス」1988千葉市立郷土博物館より)

中日友誼蓮(開花1日目)花色は濃い紅色
中日友誼蓮(開花2日目)花色は鮮やか紅色
中日友誼蓮(開花3日目)花色はやや淡い紅色
中日友誼蓮(開花4日目)花色は淡い紅色
中日友誼蓮
中日友誼蓮

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