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更新日:2021年2月1日

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千葉市市制施行100周年記念式典における関係者インタビュー

岩山眞士様:旧川崎製鉄株式会社誘致について

(司会)
移転、建設に至る当時の経緯、苦労話をお聞かせください。
(岩山様)
1951年に千葉県、千葉市の誘致により千葉製鉄所を開設し、1953年に第一高炉の操業を開始しました。
当時、日本は戦後間もない頃でありましたが、初代社長の西山は、戦後の日本は、軽工業から重化学工業へ転換する、その為には鉄が必要となると考え、品質のよいものを大量に、そして、安価に作る必要があることから、世界でも最新の施設を、立地的に優れたこの千葉市に建設しました。
(司会)
まちへの貢献や地域との関わり方の工夫・苦労についてお聞かせください。
(岩山様)
蘇我に進出し、勤務する人は1万数千人、家族を合わせると約5万人が、川崎製鉄関連の人でした。
そのころの様子は蘇我中学校や蘇我小学校の校歌にも残っており、農業・漁業中心だった地域が、川崎製鉄所の進出で、地域の産業構造が変わったということが分かります。
その後、環境問題が生じましたが、県・市と協定を結び、法令よりも厳しい環境基準をクリアし、また、地域と共存共栄を図るために、地域活動に積極的に取り組んでまいりました。そのとき始めたのがJFEちばまつりで、開催回数は41回を迎えております。
(司会)
今後の地域との関わりについて、お聞かせください。
(岩山様)
川崎製鉄が千葉市へ進出以降、京葉臨海コンビナートが形成されましたが、千葉で育った子供たちには、是非、京葉臨海コンビナートにある製造業に勤めてもらいたいと思っています。そのためには、教育機関と一緒になった活動が大切だと思っており、工場見学も実施していますが、コロナ禍でのオンライン形式での出前授業も含めて、今後、実施していきたいと考えています。

今井公子様:加曽利貝塚の発掘について

(司会)
今井様は学生の時に加曽利貝塚の発掘に関わったとのことですが、その経緯をお聞かせください。
(今井様)
中学校2年の夏の時に、何が出るんだろうという興味から初めて発掘に参加しました。大学には、考古学の専攻で入学し、当時、千葉駅前で保存活動をしていたのも覚えています。
2年生の夏には、加曽利貝塚が保存活動などで大変なことになっていることを聞いて、加曽利貝塚に行き、発掘に携わることとなりました。
(司会)
発掘で大変だったことをお聞かせください。
(今井様)
毎日、暑く、麦茶を持って走っていたことをよく覚えています。それまでも他のエリアなどで部分的な発掘活動には参加していましたが、当時のこととして、暑い中、駆け回ったことが思いでとして残っています。また、人骨の発掘に関わったことが一番の思い出です。
(司会)
加曽利貝塚に期待することをお聞かせください。
(今井様)
縄文時代は戦争のない平和な時代でした。貝や木の実を取るなど、さまざまな場所に、さまざまな痕跡を残してきました。
加曽利貝塚が全てではなく、他にも大きな貝塚があります。そのような貝塚をつなぐような形で、千葉市には貝塚が多くあって、昔から非常にいい環境だったということを皆さんに知ってもらいたいと思っています。

武井雅光様:ごみの分別収集に伴う生活の様子の変化について

(司会)
コンテナ方式による収集当時の様子についてお聞かせください。
(武井様)
私が千葉市に転入してきたときには、すでにコンテナ方式による収集を行っていましたが、初めてコンテナ方式を見て、回収が交通の妨げにならないなどの点で、「なかなか便利なやり方」と感じました。当時はこれでよかったのかもしれませんが、市民は「ごみは何でもコンテナに出せば、後は行政がちゃんと処分してくれる」との意識だったと思います。
(司会)
5分別収集に変わった当時の様子をお聞かせください。
(武井様)
5分別収集に変わる際は、事前にかなり説明会等も行われましたが、大変な混乱がありました。収集・処分できないごみが、何日か、随所に山積みされていたのを覚えています。
ただし、「ごみは分別してできる限り再資源化しなければいけない。埋立処分場もじきに限界がきてしまう」ということが市民に少しずつ理解されたと思います。
(司会)
ごみの有料化導入による変化についてお聞かせください。
(武井様)
この問題をきっかけに市民の「ごみ問題」に対する関心が高まり、市民一人一人の重要な問題」という意識も芽生え始めたと感じました。
当初は、地域の代表者でなる千葉市町内自治会連絡協議会で作った「ごみ問題検討委員会」では、家庭ごみ有料化には反対していましたが、行政と一緒に焼却ごみ削減に取り組み、成果も生まれました。
その後、減量のペースが落ち、最後の手段として家庭ごみ有料化もやむを得ないとの結論になりました。家庭ごみ有料化は「市民にごみの減量と循環型社会構築の意識を高めてもらう施策」と考えており、今後も、食品ロスや生ごみの減量のための活動、拡大生産者責任や容器包装品のトータルライフコストに基づく費用負担の公平化等についても、必要な要望は続けていくべきと考えています。

高松里菜様:今後の千葉市について

(司会)
千葉市の魅力、自慢できるところを教えてください。
(高松様)
千葉市は温暖な気候で、豊かな緑や水辺など自然環境に恵まれています。
人工海浜の「いなげの浜」は、国内初の人工海浜で海浜の長さは日本一、マリンスポーツなどで多くの人が楽しんでおり、天気が良い日には富士山もよく見えて、とても気持ちが良い場所です。
また、世界最古の花「オオガハス」の実が昭和26年に発掘され、神秘的な様子は、国内はもとより今や世界中で育てられて、その美しい姿は人々の心を和ませています。
また、すでに閉局になり、建物が残っているだけですが、日本初の国際放送が送信された「検見川無線送信所」があります。歴史に残る日本初の国際放送が地元から送信されたというのは千葉市の自慢の一つです。
また、今年はオリンピック・パラリンピックが地元、千葉市でも開催される予定であり、誇りに思うとともに、とても嬉しくて楽しみにしています。
(司会)
今後の千葉市に対する期待をお聞かせください。
(高松様)
千葉市の温暖な気候と豊かな自然環境を活かして、緑を大切にし、まちのいたるところで花を育て、その環境の中で暮らす千葉市の人々の心がより豊かになれることを願っています。
千葉市には幕張メッセがあり、国内外から多くの方々が来ます。千葉市を訪れた人々と言葉がなくても、緑と花でおもてなしの心が通じるような千葉市になって欲しいです。
そして、歴史のある「加曽利貝塚」、「オオガハス」、「旧検見川無線送信所」など千葉市の宝物をこれからも引き続き後世に伝えられるよう、みんなで大切にしていきたいです。
また、私は令和元年度の千葉市未来の科学者育成プログラムに参加しました。講座を受けて貴重な体験をさせていただき、この研究体験を活かして世界に役立つ人になりたいです。また、私と同じように体験し、千葉市の子供たちが世界で活躍できることを期待しています。

 

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