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更新日:2021年12月9日

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千草台東小のあゆみ


2019年(令和元年)、千草台東小は創立45周年を迎えました。

開校まで

千草台東小学校は、昭和50年(1975年)4月、千草台小学校から分かれ、誕生しました。

当時の千草台小学校は、児童数が1763名、学級数が43で、千葉市で一番大きな学校でした。急にふえた児童のため、校舎が間に合わず、全学級の半数が「プレハブ」というかりの校舎で学習をしていました。また、児童数が多いため、運動場がせまく、思いきった遊びや運動もできず、全校朝会の時は運動場の4分の3を使ってしまう状態でした。

昭和49年(1974年)6月、このまま児童が増え続けると、ますます運動する場所や遊ぶ場所がなくなってしまうということで、地域の人たちが集まって、「千草台小学校分離対策協議会」という組織を作って、学校を分けることを市の教育委員会に相談しました。その結果、作草部町にある水田をうめ立てて、新しい学校を建てることになりました。

そして、昭和50年4月に開校するということで、工事が進められましたが、新校舎建築にあたっては、問題がたくさんあったため、工事は大幅におくれてしまいました。その原因のひとつは、学校予定地が水田であったためで、地ばんがゆるく土台をきずくのは大変でした。もともとこの地は、雑草におおわれた泥深い水田で、田下駄をはかないと入れないようなところでした。

写真:校舎が建てられた頃の学校のまわりの様子(昭和50年4月)

写真:建設工事の様子

 写真:工事の様子(手前は現在の昇降口)

写真:工事の様子(給食室・南校舎あたり)

工事のおくれから、4月の落成では無理なことが分かり、新校舎完成までの1学期間は、千草台小学校の南校舎12教室を借りて勉強し、運動場は、千草台小学校の友だちといっしょに使うことになりました。児童数430名、12学級、先生方は20名の小さな学校でした。

昭和50年4月5日、千草台小学校の友だちと「お別れ式」をした後、体育館で開校式を行いました。

開校後

昭和50年(1975年)8月、作草部の地に新しい校舎ができ上がり、千草台小学校から移転を開始しました。その日は、トラック10台と先生方で大がかりな引越しをしたそうです。もちろん、児童も両手に荷物を持って手伝いました。

校舎はできましたが、このころは、南側校舎、給食室、図書室だけで、設備はじゅうぶん整っていませんでした。しかし、自分たちの学校がやっと完成したということで、先生方や子どもたちの喜びは大変なものでした。

写真:千草台小からの引越し作業の様子(昭和50年8月)

写真:建設中の体育館(完成は昭和51年3月)

校歌・校章

りっぱな学校ができても、千草台東小学校には、まだ、校歌や校章はありませんでした。
そこで、学校のシンボルである校章をつくろうということが、先生方と子ども達との間で相談されました。
はじめ、校章のもとになる形がいくつも考え出されました。その中から、千葉市の花「夾竹桃(きょうちくとう)」を最終的に選び、それをデザイン化して校章ができ上がりました。昭和51年(1976年)2月のことです。

写真:校歌・校章制定記念式典の様子

 

昔と今をくらべてみよう

学校ができたころと創立40周年をむかえた平成26年度の様子を写真でくらべてみよましょう。

昔の昇降口平成26年の昇降口

 

昔の遊歩道付近平成26年の遊歩道付近

 

昔の給食室付近平成26年の給食室付近

 

南校舎建設中平成26年耐震工事中の南校舎

 


参考文献:創立10周年記念誌「わたしたちの学校」