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学校紹介 > 都賀小学校のある町

更新日:2022年1月7日

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都賀小学校のある町

作草部

作草部の町は、奈良時代に「千葉郡三枝郷(さえぐさごう)」と呼ばれていたと考えられています。三枝郷(さえぐさごうとは三枝部(さきくさべ)の人たちも住んでいたところであり、作草部神社は三枝郷の氏神として祀られたのでしょう。「さきくさべ」の名前が「さくさべ」となり、作草部の字があてられたのだと考えられます。

都賀

都賀小学校の「都賀」という地名は、明治22年の町村制が行われたときに新しく作られた名前です。

作草部、萩台、西寺山、殿台、園生、小仲台、宮野木、東寺山、高品、原の10の村々が一緒になるので、祝賀の意味から「賀」を用いたといわれています。やがて作草部に役場が置かれ、都賀村の中心となりました。役場の跡は、都賀省から正善院の東に通じる道沿いにあり、案内板が立っています。

椿森

この町は江戸時代から作草部の一部でしたが、明治時代から軍隊の施設が作られ、たくさんの人が住むようになったので、昭和13年に作草部町から分離しました。昔、総武線の北側台地に第六天神社の森があり、椿の大木が社を取り囲んでいたことから「椿森」と呼ばれ、町名にしたそうです。

天台

この町は、明治から昭和にかけて、歩兵学校や練兵場が作られ、明治天皇が陸軍の演習を見る高台を天覧台と呼んだことから、昭和26年、作草部から分離したときに町名にしたそうです。

千草台

この町は、作草部の字立野内(あざたてのうち)と呼ばれていましたが、昭和44年、団地の入居にともなって作られました。千葉の「千」と作草部の「草」をとって、「千草台」という町名にしたそうです。

東千葉

平成2年、作草部の字場作、君作、髭無、尾山が分離し東寺山町と高品町の一部からできた町です。

山部公園は、東寺山の「山」と作草部の「部」からできた名前だそうです。