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更新日:2026年4月10日

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千葉空襲

千葉市は空襲でどのような被害(ひがい)を受けたのでしょうか?

昭和20年(1945年)、東京・大阪・名古屋などの大都市が空襲を受けました。6月に入ると地方の中小都市も空襲の対象になり、特に軍の基地や軍の関係の工場は空襲の目標になりました。千葉市への空襲も数度ありました(5月8日の日立航空機千葉工場への機銃掃射(きじゅうそうしゃ)など)。なかでも、千葉市を標的とした大きな空襲は、昭和20年(1945年)6月10日と7月7日(七夕空襲)です。

6月10日の空襲では27機のB29が上空から航空機工場や千葉の中心部をねらって爆弾を落としました。蘇我(そが)町1丁目では152名の人々が亡くなりました。7月7日の七夕空襲では、129機のB29がおもに焼夷弾(しょういだん)を使った空襲を行いました。

  昭和20年6月10日 昭和20年7月7日
概要(がいよう)

日立航空機千葉工場(現在のJFEスチール東日本製鉄所 千葉地区付近)を目標とした爆弾(ばくだん)による攻撃(こうげき)でした。

七夕空襲と呼ばれ、中心市街地の大部分が焼夷弾(しょういだん)で焼きつくされました。

死傷者数(ししょうしゃすう) 391人 1,204人
被災戸数(ひさいこすう) 415戸 8,489戸
被災面積(ひさいめんせき)

26ヘクタール

東京ドーム約6個分の広さ

205ヘクタール

東京ドーム約44個分の広さ

昭和20年の千葉市の人口は約97,000人でした。

B29

千葉市上空を飛ぶ米軍機B29の編隊<写真提供:千葉市空襲を記録する会>

B29についての詳細はこちら

罹災状況図

濃いピンク色の箇所は爆弾(6月10日)により被害を受けた地域、薄いピンク色の箇所は焼夷弾(7月7日)により被害を受けた地域となります。

空襲に関する資料など

爆弾

爆弾

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七夕空襲の焼けあとから見つかった20ポンド爆弾です。

※20ポンド=約9キログラム

長さは約74cm。

爆発すると地面に大きな穴をあけたり、人や建物をふき飛ばし破かいします。爆発した時、爆風や爆弾の破片が飛び散り、建物をこわしたり人にささり殺したりする武器です。

焼夷弾

焼夷弾

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七夕空襲の焼けあとから見つかった焼夷弾のつつとふたです。

「木と紙でできている」といわれた日本の木造建築を効果的に焼きはらうためにつくられた武器です。ガソリンをつめた金属のつつに火をつけ、B29という爆撃機(ばくげきき)から何十という焼夷弾の束を空から落としました。焼夷弾は屋根をつき破り家に火をつけ大きな火災を起こしました。直接焼夷弾のつつにあたりケガをしたり死ぬ人もいたそうです。1000℃をこえるガソリンの火は、消すことが難しく、時計や銅貨の金属までもとかしてしまいました。

焼夷弾コメント入り

焼けあとからの懐中時計(かいちゅうどけい)

懐中時計

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七夕空襲による火災の高熱で黒く変色し時針や文字盤(もじばん)が焼けてなくなってしまいました。

懐中時計…衣服の胸やポケットに入れて使用する時計

焼け固まった一銭銅貨(いっせんどうか)

焼け固まった一銭銅貨(いっせんどうか)

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七夕空襲による火災の高熱でとけました。

一銭銅貨…当時使っていたお金

 

防空壕(ぼうくうごう)

防空壕

爆弾の爆発した時の風や破片から身を守るために避難(ひなん)した施設(しせつ)です。地面に穴をほったり、がけに横穴をつくったりして家族や近所の人たちと避難をしました。コンクリートでつくられているものは少なく爆弾が直接当たれば防ぐことは難しいものでした。

 

空襲を体験した人の話を聞いたり、体験談を読んだりして、分かったことや感じた事をまとめてみましょう。

千葉空襲体験談はこちら

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