緊急情報
更新日:2021年3月5日
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東日本大震災を教訓として、平成23年6月に「津波対策の推進に関する法律」が施行され、1854年(安政元年)の安政南海地震による津波の際に稲に火を付けて暗闇の中で逃げ遅れていた人たちを高台に避難させて救った「稲むらの火」の逸話にちなみ、11月5日を「津波防災の日」と定めました。
沿岸部にお住まいでなくても、仕事や旅行などで沿岸部に居て津波に遭遇するかもしれません。これを機会にあらためて、わが家や地域で津波防災について再確認しましょう。
地震や津波の予測は大変難しいことです。また、予想外の大きな津波が押し寄せることも考えられます。津波警報などの情報を得たときは、報道等で正しく情報を確認し高台などへ避難をしてください。
現在、市では、千葉市沿岸部に津波警報が発表されるなどの津波被害により市民の生命の安全が脅かされる恐れがある時に、緊急に一時的な避難を行う施設として「津波避難ビル」を指定しています。
安政元年(1854年)に紀州広村(現・和歌山県広川町)は「安政南海地震」とそれに伴う津波に見舞われました。
このとき村の郷士である浜口梧陵(当時35歳)が、逃げ遅れた村人が逃げる方向を見失わないように、道筋の水田の稲むら(稲束等を積み重ねたもの。)に火をつけ、村人を高台に導きました。また、被災者用家屋の建設や農機具等の配給を行い被災者の救済に尽力するとともに、私財を投じて堤防を築きました。
こうした史実に基づき、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、明治29年の三陸沿岸の津波災害の惨状と、伝聞による浜口梧陵の偉業を参考に短編小説を書きました。その後、地元出身の小学校教員の中井常蔵により小学生向けに「稲むらの火」として書き改められ、昭和12年から10年間、小学校5年生のテキストに掲載されました。
「稲むらの火」は、海の水が沖合に引いていく(*)のを見て津波がくることを予測した庄屋が、何も気づかない村人に知らせるために、稲むらに火をつけ、安全な場所に避難させたという、災害発生時には迅速に判断して行動することの重要性を唱えた話です。
*…津波の前に、引き潮が必ずあるとは限りません。地震の起こり方や、震源付近の地形によっては、引き潮が起こらないこともあります。
九都県市合同防災訓練・千葉市会場では、津波避難ビル(フクダ電子アリーナ)への避難訓練を実施しました。避難訓練後、応急救護訓練も実施しました。
みなさまも、最寄りの津波避難ビルやそこへの経路、津波避難ビルへの進入口等を確認し、もしもの時に備えましょう。
津波避難訓練(1)
津波避難訓練(2)
←日本赤十字社千葉県支部ほかによる
応急救護訓練
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