千葉市デジタル平和資料館 > 学んでみよう > 戦後の千葉市の復興について調べる
更新日:2026年3月30日
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1945年(昭和20年)7月7日の千葉空襲で、千葉市の市街地の大部分が焼けてしまいました。
多くの人々が家を失い、街は焼け野原となりました。
しかし、戦後、政府の「戦災地復興基本方針」に基づき、千葉市は都市計画委員会を中心に、戦災復興院、県などと協議を重ねて復興計画を立案、1946年(昭和21年)6月27日に117万坪(386.8ヘクタール)の事業認可を受けました。この計画では、市の人口規模を15~20万人と想定したほか、千葉市を首都の衛星都市、学園都市、臨海水辺都市、県の政治・経済・文化の中心都市と位置付けました。
この計画により、国鉄千葉駅、京成千葉駅の移転を中心として道路・公園などの整備が行われ、事業は1980年(昭和55年)に完了しました。
「街の復興」は、人々が未来を信じて協力し、希望を持ち続けた証といえます。
地域の復興は、人々が支え合い、協力し合うことで実現しました。
平和な暮らしは、日々の中で互いに助け合い、未来をよりよくしようとする気持ちから生まれます。
過去の復興の歩みを学ぶことは、私たちがこれからの地域をどのように育てていくかを考えるきっかけになります。
これらについて、下記リンクも参考にしながら、自分なりに考えてみましょう。
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