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更新日:2026年3月30日

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戦時下の暮らしについて調べる

戦時下でも特に、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われたアジア・太平洋戦争は、人々の暮らしに大きな影響を与えました。
大きな影響としましては、労働力や物資の不足が挙げられます。

労働力の不足

戦時中は、多くの男性が軍隊に入ったり、軍需産業(軍隊で使われる武器などを製造したり、売ったりする産業のこと)に駆り出されたりしました。

参考リンク

第二次世界大戦敗戦時の出兵数について

参考:レファレンス協同データベース

国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベースです。

戦時中の人口について

参考:国勢調査100年のあゆみ(総務省統計局)(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

その影響により、どんなことが行われたのでしょうか。調べてみましょう。

物資の不足

農村の労働力も不足し、それは農作物の減少にもつながりました。
また、金属、燃料、皮革、綿花などの資源も、生活必需品ではなく軍需品に振り分けられるようになりました。

燃料不足を補うため、現在の花見川区にある東京大学検見川総合運動場(当時は東京帝国大学の運動場)の草炭(※)が掘り出され、練炭に加工されていました。

※そうたん:ピート(peat)、泥炭(でいたん)とも呼ばれる。水中に生えたカヤ、ヨシなどの植物が、枯死、堆積して炭化したもの

豆知識

戦後も燃料不足のため採掘は続けられ、1947年(昭和22年)に地中から縄文時代の丸木舟が見つかり、1949年(昭和24年)までの2年間の採掘で、丸木舟が3艘、櫂(オール)が6本、ほかに蓮の種などが発見されました(落合遺跡)。それが後のオオガハスの発見につながったのです。

どんなものが回収されたのか調べてみましょう。

  • 戦争末期になって物資が不足すると、金属類回収令により鍋・釜など身の回りの金属類や、お寺の梵鐘、荒木山公園内(現千葉公園内)に設置されていた荒木大尉を悼む銅像なども供出されてしまいました。

参考:戦跡マップ「荒木山」

  • 国債や金属製品の回収について(小倉 ふくさん)

物資不足の影響により、どのような暮らしぶりだったのでしょうか。調べてみましょう。

参考リンク

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