更新日:2016年2月19日

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平成22年度千葉市最優秀作品 高校生部門

千葉市最優秀賞受賞 作品

【高校生部門】
心の壁


秋山祥子
(植草学園大学附属高等学校)

私の両親は耳が聞こえない。家の中では普通の家族だ。けれど、一歩外に出ただけで「普通の家族」ではなくなる。手話を使うと周りから白い目で見られるのだ。
私が中学生だった頃、両親と外出した際、両親と店員が話をするのに私が通訳をしていた時のことである。手話は会話程度しかできない私にとって通訳するということは、とても難しいことだった。だから私はいつも相手側に「ゆっくり話してほしい」と伝えるのである。そう伝えたところで大体の人が「分かった」と返事をする。しかし、私の言葉を理解している人は少ない。そのため、最初はゆっくり話していたのに時間が経つにつれ、話すスピードがどんどん速くなっていくのだ。障害の有無は、ほとんどのものは目で見えるが、その障害があることによって不便になってしまうことは、健常者には、なかなか気づくことができない。「障害者と健常者」というように区切りをつくってしまうのは良くないことだが、その「障害者と健常者」の壁は相互の理解があってこそ超えることができると私は考えている。
少しでも相互の理解を深めていけたら、と思い私は障害者・健常者関係なく参加できるキャンプに参加した。そのキャンプには、健常者より障害者の方が多く参加していたため、
健常者の人たちは、普段見慣れていない障害を持つ人を見て少しびっくりした様子だった。
その様子を見て私は「やっぱり壁があるな」と感じた。しかし時間が経つにつれ、一人ひとりの顔と名前が分かるようになっていき、お互いを名前で呼ぶようになったとき、壁がなくなり互いが手を取り合えているように感じた。一緒に何かを経験し、成しとげることで距離を縮めることができた。私自身、ボランティアとして参加したが、改めて気付かされることが多くあった。一つは、支えられることに当たり前と思ってはいけないということ。親が耳が不自由なため、親の友人などに手話通訳をしていただいたり、要約筆記をしていただいたり、とたくさん支えてくださっていたのに私は、支えてもらって当たり前と思っていた。しかし、このボランティアに参加したことでその考えは間違っていると気付くことができた。もう一つは、友情に障害の有無は全く関係がないということ。今まで私は、親が障害を持っているということに抵抗を感じ、友人に親が耳が不自由だということを伝えられずにいた。けれども、伝えられてこそ本当の友達だ、と思うようになった。言わないでいるのが当たり前だった私は、最初は言うことに違和感があった。しかし、友人からの理解があるととても嬉しかったので少しずつではあったが、打ち明けるようになった。打ち明けることで理解も得られるようになる。また、友人から友人へとその理解が広まっていく。そのようになれば良いな、と思い友人だけに限らず周りの人に伝えていきたいと考えている。
私のように障害に抵抗を感じ、周りに伝えられない人はたくさんいる。伝えたくても、白い目で見られることを怖がったり、差別を受けたくなかったりすることで障害を打ち明けることができないでいる。私をふくめ、その伝えられない人たちが伝えられるようになるには時間と相手側の理解する気持ちが必要である。障害を理解することも難しいことである。相互が理解してこそ障害のある人、障害のない人が手をつないで心もつながるような世界になっていくと思う。偏見や差別がなくなることが、本当に心から互いに手を取り合える世界になっていくだろう。私はそんな世界になっていけるよう、障害を恥ずかしいことだと思わず、周りにたくさんの人がいても目を気にせず手話を使うようになった。少しのことを積み重ねることで、人々の心の輪づくりに貢献していければ、と思う。

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