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更新日:2018年7月13日

郷土博物館_常設展示・企画展示

開催中・開催予定の企画展示

開催中、開催予定の企画展示

 企画展「江戸時代の妙見祭礼」

現千葉神社の前身である北斗山妙見寺(戦国時代以前は北斗山金剛授寺)は天正18年(1590)の千葉氏滅亡により最大の庇護者を失いましたが、徳川家康から朱印地を与えられて存続しました。

平安時代後期に始まったとされる祭礼(妙見祭礼)も、近世を通じて継続されました。

今回の展示では江戸時代に記された「旧妙見寺文書」の中から祭礼に関する史料に注目し、当時の妙見祭礼の姿を紹介します。

期間

平成30年5月17日(木曜日)~平成30年10月21日(日曜日)

※平成30年7月18日(水曜日)に展示替えを行います

会場

郷土博物館 2階展示室展示ケース内

 江戸時代の妙見祭礼の展示

展示資料

前期

「御尋之箇条(妙見堂由緒 霊宝目録)」(旧妙見寺文書、長国寺蔵、当館寄託)

「御祭礼大船舞之番附」(旧妙見寺文書、長国寺蔵、当館寄託)

後期

後期展示資料はおってご紹介します

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 写真パネル展「千葉市の海辺」

かつての千葉の海辺は遠浅で、干潮時には広い干潟が出現しました。干潟でとれるアサリ・ハマグリの加工や打瀬船による底曳き漁、ノリ養殖が盛んにおこなわれいました。
さらに、都心から近距離であったことから、避暑や海水浴、潮干狩りなどを目的とした多くの観光客も訪れました。

こうした海辺の景色は、高度経済成長期の大規模な開発等によって急速に変貌をとげていきます。
昭和28年の川崎製鉄の操業開始をきっかけに、千葉市は大きく工業化していきました。
海辺の本格的な埋め立ては、昭和30年代後半から開始され、かつて干潟が広がっていった場所には工場や住宅、学校、商業施設などが次々とつくられ、新しい街の姿が生まれていきました。

このパネル展では、大きく変貌した千葉の海辺の様子を写真で振り返ります。

期間

平成30年7月4日(水曜日)~

会場

郷土博物館 5階展示室

2018_写真パネル展「千葉市の海辺」展示風景

 

 

 

 

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