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更新日:2020年3月2日
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千葉市内には、千葉氏にゆかりのある場所が数多くあります。その一部を以下にご紹介します。
4層5階の天守閣の姿をしています。千葉市郷土館として昭和42年に完成し、昭和58年に郷土博物館に模様替えしました。
一帯が千葉氏の本拠だったのは平安後期~室町中期で、当時は山すその平地に館があったとされています。亥鼻地区にこのような城の姿が存在した事実はなく、千葉城は「小田原城」と「会津若松城」を模して建てられたものです。
(所在地:中央区亥鼻1-6-1)
数々の言い伝えを残す泉です。千葉一族は代々この水を、赤ん坊を入浴させる水に使用したといい、常胤は源頼朝が戦いに敗れて千葉で再起を図る際に、お茶をささげたという伝説が残っています。現在は、水は湧き出ておらず、記念碑が由来を伝えています。
(所在地:中央区亥鼻1丁目)
君待橋にはいくつかの伝承がありますが、中でも、平安時代末期、源頼朝が相模から房総に海を渡った後、千葉にやってきた際に、千葉常胤が一族を率いてここで迎えたという話は有名です。
(所在地:中央区港町、港町交差点そば)
千葉県庁の前に「羽衣の松」と呼ばれる松の木があります。この松は、天女が羽衣をかけたとする伝説が残されています。
(所在地:中央区市場町(羽衣公園))千葉氏の先祖、平忠常が建てたと言われています。千葉の妙見信仰の中心的な役割があります。千葉神社にある月星紋などは千葉氏の紋章の一つです。源頼朝が鎌倉へ向かう途中、千葉一族と一緒にお参りしたと言われています。
(所在地:中央区院内1-16-1)
市内最古の寺院です。一度は焼失したものの、常胤が再建し、千葉家の信仰を受けたとされています。常胤の時代は千葉氏の祈願所となり、当主の元服の際には、ここで戦の勝利を祈願していました。境内のいちょうの木は県指定の天然記念物になっています。
(所在地:中央区千葉寺町161)
千葉神社の隣にありましたが、戦後、稲毛区轟町に移転しました。境内には、千葉家累代の墓碑と言われる石塔(五輪塔)が並んでいます。
(所在地:稲毛区轟町2-1-27)
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