緊急情報
ホーム > イベント・観光・市の紹介 > 千葉市の紹介 > 都市アイデンティティ~千葉市らしさの確立~ > 千葉氏について
更新日:2024年5月2日
ここから本文です。
千葉氏に関する情報をまとめた郷土博物館のポータルサイトです。
https://www.city.chiba.jp/chiba-shi/index.html
千葉氏は、桓武天皇の血を引く関東の名族です。平安時代後期の大治元(1126)年に、千葉常重が大椎(現在の緑区大椎町)から現在の中央区亥鼻付近に本拠を移したことにより、本市の都市としての歴史が始まったと言われています。
現在の緑区大椎町に本拠を置いて活躍した大椎常兼の息子、常重は平安時代後期の大治元(1126)年6月1日に現在の中央区亥鼻付近に本拠を移し、千葉を名乗りました。これが、千葉の都市としての始まりだと言われています。
(写真:猪鼻城跡の碑)
常重の子、常胤は千葉氏の中興の祖とされる人物です。
1180年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が海を渡って房総に逃れてきた際に、常胤はいち早く頼朝の味方に付くことを決めました。その後、常胤は一貫して頼朝を支え、鎌倉を本拠とするよう進言するなど、筆頭御家人として活躍しました。頼朝も常胤を父のように慕っていたと言われています。常胤は鎌倉幕府の成立に大きく貢献した名将だったのです。
(写真:千葉常胤像)
常胤は息子たちとともに源平合戦や奥州合戦に参加し、その功績によって、北は東北から南は九州まで、全国に所領を獲得しました。
千葉六党と呼ばれる常胤の6人の息子たちは、所領を分割して引き継ぎ、それぞれが本拠とした所領の地名を名乗りました。千葉氏はその後も、分家を繰り返しながら、全国各地に広がっていったのです。
平安時代後期、大治元年(1126年)の6月1日に、桓武平氏平高望の子孫、常重(つねしげ)は現在の緑区大椎町から中央区亥鼻付近に本拠地を移し、初めて「千葉」と名乗りました。これをもって千葉のまちとしての歴史が始まったとされています。
「大治元年丙午六月朔(ついたち)、初めて千葉を立つ、凡そ一萬六千軒也。表八千軒、裏八千軒、小路表裏五百八十餘小路也。」
これは、当時の「千葉」のまちの様子を表した「千学集抜粋(せんがくしゅうばっすい)」(戦国時代末期に成立)の記載です。
千葉市では、6月1日を「千葉開府の日」、2026年を「千葉開府900年」として位置づけ、市民の皆様に千葉のまちの成り立ちとその礎を築いた千葉氏について知っていただけるよう、さまざまな取り組みを展開しております。→詳しくはこちら
全国に広がった千葉一族は、それぞれの土地で歴史を刻みながら、さまざまな文化をそれぞれに築いてきました。「千葉氏」という共通の歴史的、文化的資源をもつ自治体が相互交流により友好を深め、それぞれの地域の活性化に向けて、経済、観光、防災など様々な分野での連携を促進していくことが、第1回千葉氏サミットで宣言されました。
このページの情報発信元
総合政策局総合政策部都市アイデンティティ推進課
千葉市中央区千葉港1番1号 千葉市役所高層棟6階
電話:043-245-5660
ファックス:043-245-5534
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください