更新日:2025年6月6日
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【天野前館長のメッセージ】
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4月4日(金)
4月から館長となりました芦田と申します。3月まで天野館長の下で副館長を務めておりました。これまで、天野館長が館長メッセージで様々な発信をされてきましたが、私は同じような内容豊富な文章を書くことができませんので、悪しからずご承知おきください。それでも時折、館の様子などを短文にてお伝えできればと考えております。
さて現在、郷土博物館は展示リニューアルのため閉館しておりますが、館の外では「千葉城さくら祭り」が開催されております。今週は雨天が続き、人出も今一つでありましたが、本日あたりからようやく暖かさが戻り、桜も8分咲きとちょうど見ごろとなっており、屋台も立ち並んで、亥鼻山はお祭りの雰囲気一色となっております。
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今朝の亥鼻公園の様子 |
そのような中、閉館中の館内では職員が総力をあげて日々リニューアルの作業に取り組んでいます。リニューアルオープンは11月頃を予定しておりますので、どうか楽しみにお待ちいただければと存じます。
5月2日(金)
現在、当館は館内の展示を全面的にリニューアルするために休館しておりますが、前回、常設展の展示替えが行われたのは、平成12年~13年のことです。当時は大規模な耐震改修工事が主な目的で、建物が免震構造となるとともに、瓦等も新しくなり、外壁も塗りなおされました。内部も部屋構成が変わったことから、それに伴って展示も変更するすることとなったのです。4階にはまだプラネタリウムがありましたが、1階から3階までが休館前の状態となったのはこの時です。1階には入口脇からスロープが作られ、それに沿って歴史年表が設置されました。2階は企画展などを行うスペースとして、企画展期間以外は館所蔵の武器や武具、天文資料などが展示されました。3階は「千葉氏の興亡と妙見信仰」という千葉一族の起こりから滅亡までのまとまった展示となりました。
その後、千葉市科学館が新たにできた関係で、平成19年に4階にあったプラネタリウムが閉鎖となり、その場所を改修した上で平成22年に「近現代の千葉」展示室としてオープンしました。
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1階のスロープ | 3階展示室 |
このような変遷を経てきたこともあり、郷土博物館でありながら展示されていない時代もありました。具体的には「原始古代」と「近世」の展示がない状態で、全体として千葉市にどのような歴史があり、どんな変遷を経て今日に至っているのかを理解できような展示構成にはなっていなかったのです。来館者からも「千葉には近世が無かったの?」などと聞かれることも何度かありましたので、職員としてはその度に申し訳なく感じておりました。今回のリニューアルではまずこの点を解消することが大きな目的の一つで、懸案であった千葉市の通史展示が実現することとなります。
前回、平成12年から13年にかけての耐震改修工事について少し触れましたが、この時に館内の構造が現在のものに変わっています。もともとその前までは階段移動が前提で、エレベーターも階段をのぼった2階から5階の間に付いていました。1階にはこれまた階段状の映写ホールがあり、その周囲は展示スペースや作業スペースとなっていました。当時の様子を覚えている方はもう少ないのではないでしょうか。4階にはプラネタリウムが、5階にはかつて売店もあったのです。
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以前の1階平面図(S58当時) |
先の耐震改修工事では、城型建造物としてはじめての免振構造を採用したため、建物全体を持ち上げて、基礎との間にバネやゴムを設置するという大掛かりな工事が行われました。そのおかげで、東日本大震災の際にも展示物にほとんど影響はありませんでした。改修にともない新たに館内に壁を設けるなどしたために、館全体の構造も変化しました。1階はフラットな展示フロアとなり、講座室も設けられました。エレベーターは1階から5階までつながり、外には裏口に通じる長いスロープが設けられました。また多目的トイレも設置されるなど完璧とは言えませんが、なんとかバリアフリーに対応した形となりました。
今回の工事はあくまでも展示のリニューアルなので、こうした構造上の変更はありませんが、今ある建物を前提として、どうしたら見やすい展示が実現できるかについて、大いに悩むこととなりました。
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