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更新日:2020年5月30日

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館長メッセージ

道中記の世界―または博物館の役割について―(2)

5月30日(土曜日)

 今回は、前回からの道中記の話題を基に、更に敷衍して「博物館の役割とは何か」に展開をさせていただきます。歴史系博物館の役割の一つは、こうした地域に埋もれた史資料の発掘、及びその調査・研究を行うことにあります(地方公共団体によっては文書館がこうした機能を担っている場合があります)。本館も『千葉市史』編纂事業を継続展開しており、「道中記」に関しては、刊行済の『史料編9近世』に、南柏井村の小川金左衛門が、享和3(1803)年に房総半島から日光までに至る寺社巡りをした記録が翻刻(原史料を活字化)されております(『上総房州参り宿覚帳』)。また、園生町の旧家に数多の道中記資料が存在していることも記録されております。皆さんも是非こうした貴重な史料に接していただければ、更に地域の歴史に対する興味関心が深まることと存じます。全国には、こうした道中記に限りませんが貴重な翻刻刊行している博物館も多々ありますので、ホームページ等で検索してみては如何でしょうか。

因みに、私のお勧めは、東京の府中市郷土館(「府中市郷土の森博物館」前身施設)刊『猿渡盛章紀行文集』(1980年)と「世田谷区立郷土資料館」刊『伊勢道中記資料』(1984年)です。前者には、武蔵国総社である六所宮(大国魂神社)神主である猿渡盛章が、文政9(1826)年に位官申請のために上京した折の紀行史料等が集成されております。盛章は著名な国学者でもありました。道中記をもとに後に紀行文とした『山海日記』には、各所に和歌が散りばめられており、凡百の道中記とはレベルの異なる文学作品として読むことができると同時に、当時の社会情勢の一端を知ることのできる一級の歴史史料ともなっております。後者では、幾つか収められる史料中の『伊勢参宮覚』が注目されます。これは喜多見村の名主であった田中国三郎による弘化2(1845)年の道中記です。裕福な農民らしく、行先は更に広範となり、信仰以上に娯楽的な側面を色濃く感じられる内容となっております。東海道を通って伊勢参宮に向かい、その後に奈良見物。大坂では芝居見物をして四国に渡り、金毘羅詣の後に伊予国の道後温泉へ。再び舟で本州へ戻り、宮島・錦帯橋へ廻ってから山陽道を東に辿り京都へ。そこから中山道を通って善光寺参り。その後は江戸を経て喜多見村に戻るまでの、凡そ2か月にもわたる大旅行となっております。記述内容もとても豊富で、個人的感想や筆の遊びによる絵画描写が含まれるなど、いつ見ても楽しい読みものになっております。余談ですが、千葉大学教育学部附属中学校で教鞭をとっていた頃、選択社会の授業で当道中記を教材とし、生徒とともに一年間かけて読み込んだことが懐かしい想い出となっております。

話題を元に戻し、改めて強調させていただきますが、私たちのような地域博物館の役割として何よりも重要なことは、地域に埋もれた史資料を見出し、更にはその調査・研究を通じて、忘れられていた地域の歴史を明らかにしていくことに他なりません。そんな昔のことなど知っても「一文の価値もない」等の言説をしばしば耳にいたしますが、果たしてそうなのでしょうか。以下、飽くまでも個人的な考えではありますが、私はそうした言説には首を傾げざるを得ません。2015年物故された元ドイツ大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカーによる、1985年西ドイツ連邦議会での演説「過去に目を閉ざす者は、現在(未来)に対しても盲目となる」(過去のドイツにおけるナチスの歴史を踏まえた言説)を引くまでもなく、人類の歩んだ過去を明らかにし、その意味を探ることが今を生きる者の務めであり、延いては未来を生き抜く何らかの指標を見出すことにも繋がると考えるからです。特に、私たちのような地域博物館における地域の歴史調査・研究活動は、広い意味での歴史を、私たちの足元にかつて生きた人々の活動から、身近に掴むことができる可能性を秘めていると思います。
こうした博物館の地道な活動は、実際のところ市民の皆様には一番見えにくい部分でありますが、これこそが、博物館活動のコアとなる最も重要な機能であります。目立たないからと言って、決して疎かにしてはならないことです。ただ、幾ら重要だからと言って、その段階に留まっていては博物館の活動は「象牙の塔」にすぎません。調査研究と同列に重要なことは、その成果を、様々な形で広く一般の市民の皆様に還元することです(常設展・特別展、当館ホームページ上「研究員の部屋」コラムも一つの試みであります)。今回紹介いたしました江戸時代の旅で申せば、ご紹介した資料についての調査研究が、府中市で『伊勢へ奈良へー幕末の旅と社会―』(1990年)、世田谷区で『社寺参詣と代参講』(1992年)という、それぞれの博物館における「特別展示」として結実し、市民の皆さんへ調査研究内容が広く公表されております。ともに優れた展示図録が作成されていることも申し添えておきます。逆に、価値ある還元のために、不断の調査研究こそ決して欠かすことのできない活動なのです。

以上、皆様を長々とあちらこちら引き廻してしまったようで、誠に申し訳ありませんでした。再び「道中記」の世界に舞い戻りますが、千葉市内にも「道中記」は何冊も残されておりますし、今後新たに発見される可能性も大きいものと思われます。当館としましても「江戸時代の旅」を題材に、その時代や社会の在り方に切り込めるような、価値ある特別展示をいつか開催したいと願っております。また、皆様も、市内に残る東金御成街道・房総往還・佐倉道・土気東金往還等々の古道を辿り、道筋に残る寺社や石造物を巡りながら、併せて健康の維持増進を兼ねる歴史散策を楽しまれては如何でしょうか。幸いに、こうした古道はいわゆる「三密」とは無縁でありましょう。

博物館の担うべき役割は、これまで縷々述べて参ったことの他にも未だ未だ沢山ございます。是非とも皆様にもお知りおき頂ければ幸いに存じますが、それらは、またの機会にさせていただきます。今後とも、職員一同、矜持を新たに諸活動に取り組んで参ります。

道中記の世界―または博物館の役割について―(1)

5月29日(金曜日)

 今週より博物館を再開し、4日が経過いたしましたが、予想を上回る市民の皆様に足をお運びいただいており、嬉しい悲鳴をあげております。もっとも、たくさんの皆様においでいただいているということは、それだけ新型コロナウィルスの感染リスクが高まることを意味しますので、職員としては一段と気を引き締め、感染予防に余念なきよう取り組んで参る決意を新たにしております。
幸いに、今年度「千葉氏パネル展」もご好評を頂いております。本来ならば当館職員による「展示解説(ギャラリートーク)」を行うところでありますが、感染症拡大予防のために実施できず、職員としても大いに歯がゆい思いでおります。その代わりに「解説リーフレット」を別途配布しております。こちらには、パネルに掲載しきれなかった詳細な解説も盛り込んでおります。また、ご質問等がございましたらご遠慮せず受付にお申し出ください。当館職員が個別に対応をさせていただきます。以上、皆様には諸事万端ご面倒をおかけいたしますが、何卒ご容赦いただけますようお願い申し上げます。

 さて、今回も本館ホームページ「研究員の部屋」コラムからの話題です。本館が未だ臨時閉館中5月中旬にアップした、研究員による「卯兵衛さんの旅~江戸の旅と信仰」はお読みいただけたでしょうか。前半で、江戸時代の庶民の旅について概略が、後半では、江戸時代末に現千葉市若葉区中野町在住の高橋卯兵衛による伊勢参宮の旅が紹介されております。往復のルートマップ、道々で何を食べたのか、費用はいくらかかったのか等々、とても興味深い内容となっております。特に、コロナ禍の影響でステイホームを強いられていた多くの方々にとって、江戸時代へのバーチャル追体験旅行が、ほんの少しでも癒しの場のご提供になるのではないかと淡い期待をするところであります。

当コラムでは、時代劇でもよく見掛ける江戸時代の旅が、庶民にとっては決して簡単なものではなく、表向きは信仰・療養を目的としたものであったこと、様々な手続きが必要であったこと(「往来手形」等)、資力の乏しい庶民の工夫が必要であったこと(「代参講」)等々を知ることができると思います。また、在地社会と寺社参詣とを結びつける(つまり庶民を参詣の旅に誘う)、寺社における「御師」という存在も、今ではそれ自体が実感できない存在となっていることでありましょう。また、行先も伊勢参宮を目指す旅もあれば、千葉県内では東北地方にある出羽三山への参詣も今でも盛んです。更に、地元の房総半島の札所巡りなどの道中記もあります。何れにせよ、庶民にとっての旅は一生に幾度もない極めて稀な機会でした。だからこそ、必ずしも言葉の多くない記録からでさえ、生まれた地域外の世界に触れ大いなる好奇心を膨らませている、そのような彼らの息吹を行間から感じ取ることができるように思います。今回のコラムの主人公である高橋卯兵衛もそんな旅人の一人です。旅の途中で、御当地の名物を口にしたり、名所見物を楽しんでいる様子が垣間見えます。詳細は、是非とも当コラムでご確認ください。

 こうした江戸時代の庶民の旅の詳細がわかるのは、旅の記録として「道中記」と呼ばれる文書史料が各地に残されているからです。「代参講」は講員が積み立てた資金を元手として、選ばれた代表が旅に出る仕組みですので、旅の終了後に仲間に「出張報告」「会計報告」をする義務が生じます。これが「道中記」が作成された主たる動機です。従って、現在に残る多くの道中記は、基本的に宿泊場所と出費の記録のみが淡々と記されているものが多く、個人的な感想が記されることは稀です。この高橋卯兵衛の残した「伊勢参宮日記控帳」もそうしたものの一つです。しかし、「代参講」に頼ることのない、個人の資力でも旅が可能であった、裕福な農民や学者のようないわゆる知識人といわれる方々の道中記の中には、読んでも引き込まれる豊富な内容があるものも多々あります。

(つづく)

「5月26日(火曜日)より再開いたします」

5月23日(土曜日)

 新型コロナ禍の影響により、3月初旬から臨時休館を続けておりました本館でありますが、県市の感染者数の推移等を総合的に勘案した結果に基づく政策決定により、「県民の文化的・健康的な生活を維持するために必要であり、『3つの密』の発生抑制が比較的容易な施設」のカテゴリーに分類される博物館関係施設については、来週26日(火曜日)より「充分な感染防止対策」の下での開館となります。これまで3か月弱の長きにわたって(感染防止を目的とした致し方のない仕儀であったとは申せ)、皆様には多大なるご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。ようやく再開に漕ぎつけることができますことを、私たち「千葉市立郷土博物館」職員一同、心の底から嬉しく思っております。

必ずしも再開を記念してというわけではありませんが、タイミングよろしく、本年度「千葉氏パネル展」「将門と忠常-千葉氏のルーツを探るー」を、予定通りに翌27日(水曜日)より開催できることとなりました[会期の終了は7月12日(日曜日)まで延長いたします]。パネル展につきましては、先の「館長メッセージ」において内容等の宣伝を縷々述べさせていただいております。パネル8枚と若干の展示物によるミニ展示ではございますが、手前味噌を重々承知の上で、なかなかに充実した力作に仕上がっているものと申し上げることができます。当館 1階展示室を会場としております。皆様には、これを機に是非とも足をお運びいただき、ご観覧を賜りますれば幸いに存じます。

ただ、「充分な感染防止対策を講じての開館」となります。本館におきましても、通常以上に館内消毒を徹底する等々の予防対策をとって参りますが、ご来館の皆様におかれましても、マスク着用等々の様々なご協力をお願いせねばなりませんし、様々な制約の下で観覧いただかなければなりません。また、暫くは県境を跨いでの移動自粛等の制限もございます。もちろん、体調不良の方の来館につきましては厳にお慎みください。その他、皆様にはご不便をおかけすることが諸々あることと存じます。来館上の諸注意等、詳細につきましては当館HP上にて別途お知らせしております。誠に心苦しくはありますが、非常事態に鑑み、何卒ご一読の上で来館いただけますようお願い申しあげます。

晴れて開館の運びとはなりましたが、コロナ禍は完全に終息したわけではありません。しばらくは落ち着いた状況にあるものと推察いたしますが、夏をこえた秋から冬にかけて、ウィルスがより悪質に変異することもあり得ます。100年前のスペイン風邪のケースを見ても、1919年末からの第二波の流行では、感染者数は減少したものの、致死率はかえって大きくなっていることが見て取れます。マスコミ報道でも取り上げられる通り、現状は安心できる状況では全くないこと。そして、最早コロナ禍以前と同じ世界ではないこと。私たち一人ひとりが、それらのことを深く胸に刻んで行動することが求められましょう。

暫くは、社会全体・各々が感染症拡大防止策を充分に講じ、可能な範囲の中で楽しみを発見できる体制を構築することこそ何より肝要かと思われます。本館の活動が皆様にとって、その一助の役割を果たせますよう、これからも尽力して参ります。今後とも、何卒宜しくお願い申しあげます。

 

「千葉氏パネル展:将門と忠常―千葉氏のルーツを探る―」

5月14日(木曜日)

 新型コロナ禍の影響により、本館も現段階で3月初旬以来の臨時閉館を続けております。本来であれば5月27日(水曜日)から6月30日(火曜日)の会期にて、標記パネル展を開催する予定でありますが、現状未だ開館の日取りをお示しできない状況にあります。そのようなわけで、本パネル展に関しましては、6月初旬までに本館開館が可能であれば、その時点から会期をずらして実施をいたします(5月26日からの開館が可能となれば予定通り翌27日から実施します)。何れの場合も会期終了については7月12日(日曜日)まで延長とします。また、その時点での再開が叶わなければ、本館のHP上で6月中旬を目途にWeb展示にての公開をさせていただきます(その際も開館後に来館していただければパネル展示をご覧いただけるようにします)。現段階で具体的な開館日時とパネル展会期ともに明示できない状況にありますが、ここでは先立って今年度の「千葉氏パネル展」の宣伝をさせていただきたいと存じます。

ここ数年、毎年度開催しております「千葉氏パネル展」でありますが、私たち千葉市が令和8(2026)年に迎える「千葉開府900年」を見据えた連続シリーズとして企画しております。昨年度開催「千葉氏Q&A」に引き続き、令和2年度は、千葉氏の歩みをたどる第一弾。「千葉氏のルーツを探る」として、千葉氏の誕生以前の平安時代に、朝廷に反旗を翻した「平将門」と「平忠常」という坂東武者に焦点を当てます。

二人の名前は、おそらく誰もが目にしたり耳にしたりしたことがあると思われます。現に、平将門は千葉市採択の現行中学校歴史的分野教科書でも取り上げられ、平忠常も高等学校日本史教科書には必ず記述されます。両者とも平安時代における「武士のおこり」といった単元に登場し、貴族の世から武士の世への橋渡しするための大きな役割を果たした人物像として評されております。そこで、まずは名にし負う二人の人物に関する史実を追います。そして、こうした著名な人物と、後の世に活躍する武士である千葉氏と、如何なる関係があるのかを明らかにしたいと思います。

その際、「平安時代」という大きなスパンの中での時代像の変化について御理 解いただけるよう心がけました。今から約900年前に千葉の都市の礎を築いたとされる千葉常胤とその父常重も平安時代の人物です。しかし、一口に平安時代と言っても、桓武天皇が平安京に都を移してから武家政権の誕生まで、凡そ400年という長い期間を有しております。千葉常胤が活躍したのは12世紀後半であり、それは平安時代末期から鎌倉時代初め。院政・平氏政権の誕生から、源平の争乱を経て鎌倉幕府が成立する時期となります。 
それに対して、平将門の活躍は10世紀前半、平忠常は同後半から11世紀前半にかけてであり、中央は摂関政治の成立からその全盛期とほぼ重なります。従って、両者の間にはざっと100~200年もの開きがあるのです。今から200年を遡れば、黒船来航のずっと前、寛政の改革後の11代将軍徳川家斉の頃であることからもご理解いただけるように、社会の在り方自体にも大きな変化が生じており、将門・忠常と常胤とを、十羽一絡げに「武士」として括ることはできません。そうした武者の在り方の変化、ひいては社会全体の変化を探ることに留意いたしました。

最後に、「将門」「忠常」が今でも広くその名を知られているのかは何故かにも光を当てております(「反乱の記憶と再生」)。その原因が決して学校の社会科授業のみにはあらず……と考えるからです。特に平将門は近代文学にしばしば取り上げられ、その魅力的な人物像は広く人々の心をとらえております。古くは幸田露伴・真山青果から、戦後の吉川英治・海音寺潮五郎・大岡昇平を経て、新しいところでは童門冬二・高橋直樹まで、近代以降に限っても将門を主人公とした作品は営々と書き継がれ、多くのファンを獲得していることからもそれは明らかです。個人的には、何を措いても、高校生の時に視聴した海音寺潮五郎原作のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年)が忘れられません。加藤剛の演じる硬骨漢の将門が印象的でした。
しかし、将門の世界は、広く若者達の心をも捕らえているのです。平将門の怨霊を呼び起こすことで帝都破壊を企てる加藤保憲の跳梁を描く、荒俣宏のサイキック伝奇小説『帝都物語』(実相寺昭雄監督の手になる映画化作品での嶋田久作演じる加藤の人物像は見た者に忘れ難い強烈な印象を残します)、東京の守護神という重要なキャラクターとして平将門の登場する人気CPゲーム『女神転生』等々。その裾野の広がりはとても一千年以上も前の人物とは思えないほどです。さらに、北は青森から南は熊本まで、日本国内にも広く分布する「将門伝説」の存在も見逃すことはできません(千葉市内にも将門伝説は色濃く残っております)。関東で反乱を起こした人物の伝説が、何故時空を越えて国内に広く存在するのでしょうか。また人々の心を捉らえ続けるのでしょうか。不思議と言えば不思議です。こうした乱の記憶と後の時代に再生され続けた背景にも迫ることを目論んでおります。

以上、今回のパネル展では、様々な視点から平将門と平忠常に焦点をあて、史実と伝説の姿に迫ることを通じて、千葉氏のルーツとしての「将門と忠常」の位置づけを明らかにして参ります。併せて、会場には将門・忠常関連のグッズや書籍などを展示します。開館後の展示が可能な場合、感染症拡大予防対策により職員による展示解説が実施できないことから、内容を詳細に解説した「解説シート」を配布する所存であります。また、追って「解説ミニ冊子」の販売も考えております。

現段階では本パネル展の開催方法・時期について明言できませんが、皆様を目くるめく史実と伝説の世界へとご案内いたしたく存じますので、楽しみにお待ちください。そして開館の暁には是非とも本館へ足をお運びいただけましたら幸いです。

 

「終息の見えないコロナ禍に思う」

5月1日(金曜日)

 本日から5月となりました。3月当初からの本館の臨時休館も、既に2か月を経過しようとしております。残念ながら、国内外のコロナ禍終息は未だ見通せず、今しばらくの辛抱が必要のようです。開館を心待ちにされている方々には、誠に申し訳なく存じますが、何とぞ御理解のほどをお願い申し上げます。

さて、もはや旧聞に属することとなりますが、去る4月18日(土曜日)当館HP内「研究員の部屋」に、本館の研究員執筆「新聞にみる千葉のむかし『スペイン風邪の蔓延~大正7年パンデミックから何を学ぶ?~』」をアップいたしております。本コラムは「ちば市史編さん便り24号」(2020年3月31日発行)に掲載されている内容ですが、こうした時期であるからこそ、一人でも多くの皆様にお目通しをいただきたく、本館HPに転載いたしました。また、開館のあかつきには、本稿が掲載される当該リーフレットを実際にお手にとっていただければと存じます。

全世界で猛威を振るった、いわゆる「スペイン風邪」が大流行したのは1918年から1920年にかけて。当時の総人口の約4分の1にもあたる5億人が感染し、死者数は4~5千万とも1億とも言われております。わが国での感染が確認されるのは大正7(1918)年10月のこと。それ以降翌年3月には一端沈静化するものの、同年12月から翌年3月にかけて、更に大正9(1920)年12月から翌年3月にかけてと、流行は三波あったと言われております。

その中で最も大きな被害をもたらしたのが第一波でした。本コラムでは、当該時期における千葉県内での感染経過と講じられた対策等々、当時の新聞記事を追いながら紹介しております。現状と照らし合わせながらお読みいただけると、到底100年以上も前の出来事とは思えない臨場感です。当時は、未だ、原因が特定できない「謎の感染症」でしたが、暗中模索の中で今と変わらぬ対策がとられていることに驚かされたりもします(原因となるインフルエンザウィルスが特定されたのは1930年代に入ってからのことです)。

因みに、同年はシベリア出兵に伴う深刻な物資不足と価格高騰を直接的要因とした「米騒動」が、7月から9月にかけて全国に広がりました。騒然たる世情の中、寺内正毅内閣が総辞職。代わって政友会の原敬の下で、初めての本格的な政党内閣が組閣された直後となります(軽症で済みましたが首相自身も罹患したことは意外に知られておりません)。千葉においては、大きな被害をもたらしながらも、年末には急速に下火に向かったことを新聞記事から読み取ることができます。筆者が記す「そこに、ひとつの希望を見出す」は、今を生きる誰もが共有する願いでありましょう。ただ、当時の日本は、都市人口が2割弱の「農村社会」でありました。それに反して、凡そ9割が都市に集住している現代の社会構造は100年前とは根本的に異なっており、このことが防止対策を難しくしているのだと思われます。

一方、歴史を振り返れば、伝染病を原因とする人類の危機は、同時に新しい時代を切り開く扉でもあったことを見逃してはならないと思います。

ヨーロッパ中世末のペスト大流行は、人口の激減を通じて封建制度を根幹から突き崩し、中世から近代への道筋を付けました。また、この文章で取り上げているスペイン風邪は、最終局面を迎えていた第一次世界大戦による甚大な人的・物的被害とも相まって、労働力の深刻な不足を生じさせました。1918年は、11月にドイツでの君主制の崩壊後、新たなに成立した共和制政府が連合国と休戦協定を締結。ヨーロッパを主戦場として足掛け5年にもわたって甚大な被害をもたらした第一次世界大戦が終結を迎えた年でした。それと入れ替わるように、今度はスペイン風邪の大流行が、戦争を遥かに超える更なる人的被害の追い打ちをかけたのでした。そして、そのことが結果として、大戦後の福祉国家への転換や女性の社会進出を促したと言われています(近代から現代へ)。つまり、パンデミックという悲劇を乗り越えることを通じて、計らずも人類は大きな社会構造の変革を成し遂げてきたのです。

今回の新型コロナ禍でも、これまでの状況にかんがみれば、非常事態宣言の下、在宅勤務、テレワーク、自宅学習、外出自粛等々の対応を強いられております。こうした中で、これまで当たり前であった勤務や学校をはじめとする社会の在り方に、誰もが否応なく向き合わざるを得なくなっております。私は、これを契機に社会構造がドラスティックに変わる可能性が大きいと感じています。その意味で、私たちは歴史的画期ともいうべき重大局面に立ち会っているのだと思うのです。しかし、少なくとも現状は「見えない難敵との戦い」に勝利することが至上命題です。併せて、当館で今秋予定している特別展「軍都千葉と千葉空襲」では、歴史的事実の紹介にとどまらず、非常事態における社会の在り方等のご理解を深めていただけるよう、鋭意努める決意を新たにするところでもあります。

最後に、スペイン風邪が猛威を振るった2年の後。大正11(1921)年1月1日、我らが千葉市では県内初の「市政」が施行されることとなりました。令和3年は、その時から数えて100年目の記念すべき年となります。かの時と同様に、感染症克服の末の「アニヴァーサリーイヤー」となることを心の底から祈るばかりです。全ての人々の力を結集して、この難局を乗り越えて参りましょう。

※本稿は、千葉大学法経済学部:水島治郎教授[石橋湛山賞『ポピュリズムとは何か』(中公新書)著者]が、昨年度末の大学院人文公共学府学位伝達式でお話しされた祝辞を参考にさせて頂きました。

千葉市立郷土博物館ホームページへの誘い

 4月から館長として赴任して2週間が経過しました。この間、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、当館も3月2日以降の「臨時休館」を余儀なくされており、いつ開館することができるのか未だに不透明な状況にあります。しかし、そうした中でも、自然の摂理には抗えず、当館のある「いのはな山」も桜から木々の新緑が目にまぶしい季節に移ろっております。「風薫る5月」ももうじきです。南から子育てにやってくる燕たちの訪問も待ち遠しい限りであります。
さて、「非常事態宣言」の下、いつものように出歩くこともできない皆様を思い、当館では本年度より大幅にリニューアルした当館ホームページを用いて、ささやかではありますが発信を続けております。当館公式ツイッターで「いのはな山紹介」(4月14日日現在17回)・「市史トッピクス」(同3回)を隔日ほどで、本館統括主任研究員による「研究員の部屋」を週1回のペースで、それぞれ更新しております。前者では、当館周辺に存在する寺社や歴史的な内容について、後者では、これまで3回にわたり千葉神社を取り上げております。従来千葉氏との関係でのみ注目されてきた妙見信仰が、実は千葉周辺に居住する商工業者等々と密接に結びついていたという、これまで等閑に付されていた事実について言及しております。また、ホームページ内には、新聞各紙でも紹介された「千葉氏ポータルサイト」が設けられており、手前味噌ではありますが内容的に充実したものと自負するところです。このようなときこそ、是非とも当館ホームページにお気軽にご訪問ください。そして、皆様のご意見等も賜れれば幸いです。
その他、5~6月開催「千葉氏パネル展」、10~12月開催特別展「軍都千葉と千葉空襲」に向けての準備を急ピッチで進めております。併せて、本年度末発行予定『千葉市史 史料編(近現代編1)』編集も行われています。開館時期が見通せないことに鑑み、パネル展については当館ホームページを活用したweb展示での公開も検討して参ります。本年度「千葉氏パネル展」は令和8年に迎える「千葉開府900年」(大治元年千葉常胤の父常重が大椎から本拠を千葉に移してから900年という記念すべき年です)に向けた連続展示の4回目。「千葉氏前史」として「平将門と平忠常」を取り上げます。近くになりましたら改めて「館長メッセージ」にてご案内をさせて頂く所存です。また、本館として本年度からの重点としている学校教育との関係強化に向けた「教育プログラム」の準備等も推し進めて参ります。コロナ禍が終息し、再度の開館を迎えた暁に大きく羽ばたけるよう、当館も雌伏の時を粛々と歩んで参ります。しばらくホームページ中心とした発信となりますが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。 
 

ごあいさつ

千葉市立郷土博物館へようこそ。

本年度着任致しました、館長の天野良介と申します。

当館は、前身の千葉市郷土館をリニューアルする形で、郷土史全般を取り扱う博物館として昭和58(1983)年に開館され、今年で38年目を迎えることとなりした。その間、平成4(1992)年に本市は政令指定都市となるなど、市政の在り方も市域の様子も大きく様変わりしております。

 そして、千葉市は、令和3(2021)年には、大正10(1921)年に県内初の市制が施行されてから「100周年」、そして6年後の令和8(2026)年には、大治元(1126)年に千葉常重が本拠を現在の千葉中心地に移してから「開府900年」という、それぞれ記念すべき時を迎えることとなります。

 こうした大きな時代の節目に、郷土の歴史を次代に継承していくことは、グローバル社会の進展という局面に鑑み、自らの存立基盤を確認する意味においても極めて肝要なことであります。そのために、私たち博物館が担うべき、史料収集・調査研究・展示・教育普及活動を日々展開しております。博物館は単なる展示施設ではなく、研究成果を利用者の皆様に還元し、社会に発信していく施設であることはもちろんのこと、更には地域の文化交流の拠点として市民の皆様の活力を取り込みながら、双方向的な在り方を模索する施設でもあらねばならないと考えるところでもあります。

 このことを肝に銘じ、来館者や教育普及活動の方々にご満足いただける事業を展開することに努めて参ります。本市の礎を築いた千葉氏を中心とした中世はもとより、古代から近現代にいたる通史全般、そして民俗等にも視野を広げた研究を深めることはもとより、成果の公表の広がりに努め、持続可能な博物館を構築致します。また、本年度から、学校教育との更なる連携を深め、次代を担う子どもたちへの郷土史への興味と理解を育むことに、これまで以上に注力する所存でございます。

 今後の千葉市郷土博物館の取り組みに、是非ともご期待を頂ければと存じます。

 

 

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