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更新日:2023年10月16日
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幕張新都心概要
1989年幕張メッセのオープンでスタートした幕張新都心は、先導的中核施設である幕張メッセの設置をはじめ、業務研究ビル、教育・研究施設や、ホテル・商業の誘致及び幕張ベイタウン、幕張ベイパーク(若葉住宅地区)での住宅整備の推進などにより、「職・住・学・遊」の複合機能の集積が進み、就業者・居住者・就学者及び新都心への来訪者を合わせると令和元年度時点で日々約23万人の人々が活動するまちとなっています。
計画面積 522.2ヘクタール
計画人口 就業人口 約15万人 居住人口約3万6千人
地区 | 特長 | |
---|---|---|
タウンセンター地区 | アメニティ豊かなにぎわいとふれあいのスペース | |
業務研究地区 | 次世代産業を創出するビジネスエリア | |
文教地区 | 新しい文化を創造する学究のステージ | |
住宅地区 | 幕張ベイタウン | 魅力的な都市デザインと快適な居住環境 |
幕張ベイパーク(若葉住宅地区) | 輝く人と街並みが融合する国際性豊かな街づくり | |
公園緑地地区 | アメニティ豊かな都市環境 | |
拡大地区 | 豊砂地区 | 幕張新都心の新しい魅力の創出が期待されるエリア |
芝園地区(習志野市) |
東京湾から見る幕張新都心はまるで海上都市のようだ。
かつて浅瀬の干潟で「浮島の駅」と呼ばれたこの地は、いまや年間4,800万人が訪れる国際業務都市として生まれ変わった。総面積522ha、就業予定人口15万人、居住予定人口3万6千人。わが国最大規模の新都心は、業務研究、教育文化、商業、住宅などの諸機能が計画的に配され、環境デザインの描き出す街並みは、これまでの日本にない〈新しい都市〉を予感させる。将来、マリン・リゾート施設など、ウォーターフロントとしての機能も加わることによって、さらに多様な人々が幕張をめざすだろう。
驚異的な幕張の〈変身(メタモルフォーゼ)〉を振り返る。
『出典:幕張アーバニスト 1994 October (千葉県企業庁)』
東京湾に残された数少ない臨海部の埋め立ては戦後すぐに始まる。1945年、政府は食料増産のための緊急開拓事業のひとつとして幕張の埋め立てを閣議決定。その後、事業目的は中小工場用地造成に変更され、1964年、60haの造成が完成した。
都心部から30km圏、広大な埋め立ての可能な稲毛、検見川、幕張に計画人口24万人の海浜ニュータウン建設が計画された。経済発展と急速な首都近郊のスプロール化に対して都市を計画的に誘導し、良好な住宅地として整備することをめざした。
業務中枢機能の東京一極集中に歯止めをかけることを目的に、住宅中心の土地利用計画を大幅に見直し、業務機能をもつ新都心を建設することを決定。現在の幕張新都心を構成する業務研究・タウンセンター・住宅・海浜公園などの要素も出そろう。
1976年の「千葉県新総合五ケ年計画」は、千葉圏内における進学率の上昇、学生数の増加に対応して幕張新都心に教育文化機能を充実させる「学園のまち」構想を示した。81年より順次、大学、高校などの文化・教育施設が立地し、文教地区を形成した。
湾岸道路や東関東自動車道、JR京葉線等のインフラ整備が急ピッチで進む中、1980年には埋め立て造成工事が完了し幕張地区が海から姿を現した。一方で、埋め立てで失われた自然を取り戻すべく人工海浜が設けられ、1979年に「幕張の浜」がオープン。一足早く1976年にオープンした「いなげの浜」は、日本初、世界でも2番目の人工海浜となった。
〈模索するウォーターフロント〉
知事が幕張メッセ建設構想を発表。引き続いて「幕張メッセ成立可能性調査」も始まる。千葉市は千葉スタジアム構想を発表。横浜市は「みなとみらい21」計画(計画面積186ha)を発表した。
「幕張新都心構想」「かずさアカデミアパーク構想」「成田国際空港都市構想」の3つを基幹プロジェクトとした「千葉新産業三角構想」が決定。東京と成田の中間に位置する幕張は、業務機能の集積を核とした新都心として構想されるようになり、その開発誘導施設として幕張メッセを位置づける「幕張新都心事業化計画」も同年発表される。
〈幕張新都心の骨格が決まる〉
「幕張新都心都市施設基本計画」は、幕張新都心を21世紀にふさわしい都市として整備していくために特に都市施設に着目。交通輸送計画、環境整備計画、都市整備計画について具体案を作成。現在の土地利用の骨格が完成する。
新都心のオアシス、幕張海浜公園の一部(中央地区)がオープンした。海浜公園は総面積72ha、日比谷公園の約4倍。7つのブロックに分かれ、海、緑、スポーツ、国際交流などのテーマごとに整備され民間活力を利用した「海のシルクロード・ファンクルズガーデン」の導入が決定している。ほかに日本庭園「見浜園」(1.6ha)が90年に完成。95年には第12回全国都市緑化ちばフェアが開催された。
日本IBM、セイコー電子工業など業務地区の立地企業選定と分譲が始まる。同時に、進出企業を中心に、幕張新都心まちづくり協議会が発足。
〈幕張メッセ完成〉
1989年10月、幕張メッセが完成。幕張新都心は名実ともに国際コンベンション都市として誕生した。同月、第28回「東京モーターショー」がメッセで開催され、史上最高の15カ国が参加。192万人が訪れた。東京ガスの地域冷暖房も供給開始される。
〈千葉マリンスタジアムがオープン〉
3月、幕張メッセの海側に総面積(延床)4万4782平方メートル、3万人収容という国際級規模の千葉マリンスタジアムがオープンした。92年からは千葉ロッテマリーンズのホームグラウンドとして、〈熱パ〉演出にも一役買い、プロ野球はもちろん、アメリカンフットボール、コンサート、市民祭など、スポーツイベントを中心に、幕張海浜公園集客の原動力となっている。
〈わが国初の沿道型住宅計画〉
「幕張新都心住宅事業計画」が決まる。国際業務都市にふさわしい都市型住宅の建設をめざし、翌91年、住宅事業者8グループ、(公団、公社、民間6グループ)を選定。93年に着工。
〈評価された街づくり〉
幕張テクノガーデンのオープンを皮きりに、業務地域の建設が順調に進んだ。92年にかけて、一般開放施設も次々にオープン。幕張新都心の総合的な街づくりに対して92年、日本都市計画学会賞石川賞が千葉県に贈られた。道路、公園緑地、地域冷暖房など質の高いインフラ整備と優れたデザインによって事業者を誘導するなど、先進的で官民一体となった業績が評価され、自治体では初の受賞となった。
〈幕張方式に人気集中〉
バブル崩壊によりタウンセンター地区(商業地区)の進出企業の撤退、計画の遅れなどが表面化する。住宅地区は計画より1年遅れの1994年5月、M2街区の一期分譲を開始。幕張方式といわれる〈土地転貸借権付分譲住宅〉方式が注目を集め、最高367倍の応募倍率となる。
〈幕張メッセ拡張画発表〉
6月、幕張メッセは、それまでの5万4千平方メートルから7万2千平方メートルへの拡張計画を発表。
〈「幕張ベイタウン」オープン〉
幕張ベイタウンの第一期として、パティオス1番街~6番街の入居者704戸、1800人が3月に入居開始。4月には住宅地区に打瀬小、中学校開校、97年には海浜幕張駅との間をベイタウンバスも開通。
開かれた生活複合都市として成熟の第一歩を踏み出した。
97年からは高層街区、超高層街区も着工され、2000年に竣工。
〈幕張新都心、第2ステージへ〉
本格的な整備をはじめて10年目を迎えた幕張新都心。「世界の人、モノ、情報がいきかう国際交流都市」「未来型産業を育成する先導的な産業創出都市」「多くの人が寄り集う新しい文化創造都市」の3つの都市像の形成を目指した「幕張新都心第2ステージ推進方針」を策定。
さらに長引く不況の影響で企業立地が遅れていた拡大地区について「幕張新都心拡大地区将来ビジョン検討委員会」が設置された。
〈賑わいのある幕張新都心〉
土地貸付事業制度を活用し、大型商業施設の誘致により、幕張新都心の賑わいが創出された。
2019(令和元年)
このページの情報発信元
総合政策局未来都市戦略部幕張新都心課
千葉市美浜区中瀬1-3 幕張テクノガーデンCD棟3階 千葉市幕張新都心サテライトオフィス
電話:043-274-8648
ファックス:043-274-8649
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