更新日:2020年9月25日

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航空写真でたどる千葉公園の変遷

過去の航空写真から千葉公園の変遷をたどってみましょう。

昭和21年(1946)2月

  • 昭和21年6月に戦災復興都市計画が立案され、鉄道第一連隊演習場跡地に面積約21ヘクタール、千葉市初となる総合公園「千葉公園」の建設が決定しました。
  • 千葉公園の建設が始まる以前、公園区域には樹木がほとんどない広漠とした荒地でした。
  • 左下に旧陸軍墓地の用地があり、戦時中に建設された忠霊塔(未完成)と広場、墓域が確認できます。
  • 忠霊塔(※)は、その後千葉県が修復・建設を行い昭和29年4月に竣工しました。その区域は、当初の計画では「墓園」となっています。
  • 鉄道連隊の架橋やトンネル工事訓練の跡がわずかに点在しています。

千葉公園航空写真整備前

※忠霊塔建設の経緯

  • 昭和16~18年:忠霊塔建設事業協会(永井千葉市長ら有志)により勤労奉仕及び県民からの募金(5万円)で、千葉市弁天に建設を着手しましたが、完成前に終戦を迎え、そのまま放置されました。
  • 昭和27年:サンフランシスコ講和条約の発効を契機に県遺族会等から強い陳情があり、知事の諮問機関「千葉県遺家族対策審議会」において忠霊塔の建設についての答申がなされ、昭和28年2月、県議会で修復工事費(1,274,000円)の予算が議決しました。
  • 竣工:昭和29年4月8日
  • 面積:1,527平方メートル(国有地無償借受)
  • 内蔵品:分骨/1,066柱、英霊名簿/57,248柱

昭和32年(1957)10月

  • 厳島神社(弁財天)及び忠霊塔の周辺に樹林地が見られますが、全体的に植栽して間もない樹木が多く、園路がくっきり確認できます。
  • 公園施設としてボート池、野球場、体育館、競輪場・陸上競技場のほか、猿山、運動広場、西洋式花壇などがありました。
  • 公園事務所は当初、南門の近くにありました。水泳プールはまだ整備されていません。中の島に渡る橋が見えます。

千葉公園航空写真1957年

 

昭和42年(1967)

  • 樹木が生長し、緑量が増えてきました。中の島へ渡る橋はなくなっています。
  • 特に周辺部はクス、シイ、カシ等の常緑広葉樹の生長がめざましく、樹林としてのまとまりが形成されつつあります。
  • 公園施設として水泳プール、小動物コーナー(水禽舎等)、展望台、公園事務所などが増えています。
  • 野球場にはまだナイター設備(S48設置)がありません。公園に隣接する護国神社は造営中です。

千葉公園航空写真1967年

 

平成元年(1989)10月

  • 公園施設を囲むように帯状の樹林が形成され、緑豊かな公園となりました。
  • 池沿いに建設中のモノレール軌道が見えます。平成3年、千葉駅~スポーツセンター間が開業しました。
  • 競輪場内に併設された陸上競技場は廃止され、サッカーコートとテニスコートが整備されています。
  • 野球場のナイター設備6基が確認できます。運動広場にイベント時のテントが見えます。
  • 野球場に点在する白い長方形は、家族バレーボール大会の跡です。

千葉公園航空写真1989年

 

平成13年(2001)9月

  • 1989年の写真と比べてより一層、樹木が生長し、こんもりとした樹林帯を形成しています。   
  • 動物公園の開園に伴い小動物コーナーがなくなり、眺望が悪く老朽化した展望台は撤去されました。   
  • 千葉鉄道管理局跡に生涯学習センター(H13年4月開館)が見えます。

千葉公園航空写真2001年

 

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