緊急情報
更新日:2016年7月26日
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千葉公園のある辺りは、江戸時代には佐倉・堀田藩領(千葉寺・寒川村)と旗本・中山勘解由の領地(作草部村)との入会地(共同作業地)になっており、当時はヨシなどが生えた沼地湿地のようなところであったと言われています。
明治41年(1908年)、旧陸軍はここに鉄道連隊を設けました。その後、大正7年10月(1918年)、津田沼に鉄道第二連隊ができるとともに名称が鉄道第一連隊と変わりました。鉄道第一連隊の兵士たちは、この辺一帯の演習作業場で、鉄道の保守、新設、修理をはじめ、敵地での鉄道の破壊訓練を行っていました。現在でもその名残りとして公園事務所脇のコンクリート造りトンネルや荒木山周囲に橋脚などがあり、当時の面影を伝えています。
終戦後の混乱期には、園内にある樹木のほとんどは切り倒されて燃料になってしまったり、敷地の一部は食糧難を補うための菜園にされたりしたそうです。その後、市民の憩いの場、県都にふさわしい公園とするため、昭和21(1946)年6月に千葉戦災復興都市計画に基づき本市初の総合公園として整備することが決定されました。昭和24年(1949年)から公園整備にとりかかり、順次、施設を整えてきた結果、昭和40年頃ほぼ現在の形になりました。
園内にはナイター設備のある野球場、50mプール、体育館等の運動施設や市内唯一の貸ボートがあり様々なスポーツ・レクリエーションが楽しめます。春にはソメイヨシノなど660本のサクラが咲く花見の名所として知られ、初夏にはボタンやシャクヤク、6月下旬から7月上旬には世界最古の花「大賀ハス」が咲きます。秋にはモミジやイチョウなどの紅葉・黄葉が鑑賞でき、冬には綿打池にカモやカモメが訪れ松の雪吊りが飾られるなど、四季を通じて自然とふれあうことができます。
年中無休、入園無料。
過去の空中写真から千葉公園の変遷をたどってみましょう。
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