更新日:2016年1月29日

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千葉公園リーフレット(1956年頃)

昭和23年に着工して8割余り整備が進んだ昭和31年頃の千葉公園パンフレット(文は原文のまま)を紹介します。

千葉公園の沿革

千葉市には従来公園として1322.3平方米余(400余坪)の猪鼻山公園及び昭和8年に造られた4297.5平米(1300坪)の荒木山公園だけであった。
その荒木山公園も戦災、引続く終戦の混乱により園内の樹木は殆ど全部切り取られ敷地の一部は食糧難を補う為の菜園にまでされてしまった。
終戦の混乱が回復するに伴い、市は市民の憩いの場とするは勿論県都として広く県民の利用するに相応しい公園を戦災復興都市計画事業の一環として造成することになり昭和23年に着工し既に80%の建設を終えており現在も引続き完成を期して着々工事を進めている。
当公園の地域は前からあった荒木山公園、葦の生茂った綿打池、旧軍用地及び一部民有地を買収した一連の丘陵地帯であって、総面積実に214,867平米(65,000坪)に及ぶ広大なものであり且つ国鉄千葉駅の北方僅か200米の地点にあり然も昭和31年懸案の千葉駅北側の出改札が完成し足の便も一段とよくなり徒歩5分にて到することが出来る。

公園内の完成した施設の概要は

  • 野球場:昭和24年5月に完成、両側91.7米(310フィート)中心部119.481米(392フィート)を擁する公認野球場であり、春から秋へのスポーツシーズンには学生、社会人将又プロ野球と手入れの暇もない程数多くのスポーツ愛好家に親しまれている。
  • 陸上競技場:昭和24年に完成された名実共に県下一を誇る優秀な設備を有する第2種公認競技場であり、数々の全国大会を供した経験がある。昭和31年にはメルボルンオリンピック派遣の日本代表選手がこのグランドで約3週間に亙って最後の仕上げを行った。
  • 競輪場:陸上競技場の外側に施設され見よい買いよい競輪場として人気があり開催中は毎日数千人の愛好者で賑わう。
  • 体育館:西側台地に総経費5,800万円にて昭和31年1月に完成した。総面積2,512.4平米(760坪)競技場床面積1,124平米(342坪)観客3千人を収容出来る雄大な然も室内競技の諸設備、夜間競技の照明設備を完備したスポーツの殿堂である。
  • ボート池:御来遊の皆様が楽しく遊べるよう、よく整備された25隻のボートがあり子供連れでも安心して水遊びに興ずることが出来る。
  • 児童遊戯場:スベリ台、ブランコ、シーソー、ジャングルジム、砂場その他数々の児童向施設が完備しており終日児童の遊びの友になってくれる。又その一隅には申歳にちなんで造られた猿山があり、可愛い10匹の日本猿が愛嬌をふりまいている。

この外、園内には27,000本に及ぶ松、柳、椎、ヒマラヤシーダー、ユッカラン、サンゴジュ、玉伊吹等の大小の樹木が植えられてあり、そのしたたる緑の間は縦横に散策道が開けている。春には梅が続いて園内1,300本の桜が咲きみだれお花見によく又風薫る5月には木立の休憩所と相俟って、家族連れ、小中学校の団体のレクリエーションとして最適であり更に藤、花菖蒲と続き又蓮田には二千年前の実から芽生えた有名な蓮が清楚な美花を浮かべる等四季を通じて花が絶えない。
展望台に登れば市街地は勿論、千葉港、川崎製鉄更に晴れた日には房総の丘陵も又東京湾に浮かぶ白帆越しに遠く富士の秀峰も望むことが出来る。

地図の中で「未完」と記された施設は

リーフレットの地図の中で「未完」となっている施設は、その後、どうなったのでしょうか。

  • スポーツランド:水泳プール(50m競泳プール、子供プール)として整備された。
  • バレーコート:テニスコート兼用の競輪場臨時駐車場となった。
  • ガーデンハウス:パークハウス「もえ木(喫茶・売店)」が建てられ、その後、ボート・レストハウスとして、池端へ移りました。
  • 郷土館:建設されず、広場として整備され現在に至る。
  • 展望台:昭和36年に建設されたが、老朽化により平成5年頃に取り壊された。

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都市局公園緑地部中央・美浜公園緑地事務所

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