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更新日:2021年2月23日

館長の考古学日記

縄文時代のムラを考える エピローグ 2021年2月23日

考古学に興味をもつ中級・上級者のみなさん、短期通信講座「縄文時代のムラを考える」、いかがでしたか?
淡々とした調子で、少々難解な説明でしたが、縄文時代のムラのすがたを解明していくためには、

とてもとても多くの課題があることを、ご理解いただけたらうれしいです。
本シリーズ007でも延べたように、「想定」と「事実」の間を、反復横跳びのように、

頭の中で行き来させながら考えていくことが必要なのです。

さてさて、
このシリーズを最後までご覧いただいてくださった方々のために、ささやかなプレゼントです。

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私は、基本的には「土器屋」なので、集落について多くは論じてはいません。

本シリーズ007で紹介したような、わりと地味めの分析が主です。
私が集落全般について論じたもののうち、ネット上で皆さんが目に触れることができるものがありましたので、
ささやかなプレゼント・・・
20年も前の古いものなので、時間が空いているときにでも、目を通していただければ・・・

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加納 実 2002 考古二(日本)
『史学雑誌』第111編第5号 2001年の歴史学界 ―回顧と展望― 史學會
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/111/5/111_KJ00003652579/_pdf/-char/ja(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

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(こんなことだってできるんだいっ!)

 

さてさて、
最後に、考古学者が考古学者にむけたメッセージをここに再録し、この講座を終えたいと思います。
(今村啓爾 考古調査ハンドブック17『縄文文化』―入門から展望へ― ニューサイエンス社 2017)

 

「戒めるべきは、断片的な物的証拠から社会を読み取ることに熱心になるあまり、自分のもつイメージのほうが先行して、イメージに遺跡や遺物などの証拠をはめこむような形で研究が行われる危険性である。」

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縄文時代のムラを考える 013 2021年2月21日

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さて、加曽利貝塚の規模感をさらに知る手がかりは、

 

「同じような時期の集落」で、「ムラの大半の面積の発掘調査を実施した遺跡」の例を取り上げ、

比較するのが良いのではないかと思います。

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ここでは上記の条件にあてはまる、県内の2遺跡の例を紹介します。

〇千葉市緑区有吉北(ありよしきた)貝塚

概要(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

【時期】
中期:阿玉台1(ローマ数字の1)式期から加曽利E3(ローマ数字の3)式期
【年代幅】
820年間(小林謙一『縄紋時代の実年代講座』同成社 2019 より)
【住居跡軒数】
168軒(埋蔵文化財発掘調査報告書より)
【平均同時存在住居軒数】
2.05軒

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〇市原市武士(たけし)遺跡
【時期】
中期:加曽利E3(ローマ数字の3)式期から後期:加曽利B1式期
【年代幅】
740年間(小林謙一『縄紋時代の実年代講座』同成社 2019 より)
【住居跡軒数】
432軒(埋蔵文化財発掘調査報告書より)
【平均同時存在住居軒数】
5.83軒

0221takeshi

 

となります。

 

で、加曽利貝塚
【時期】
中期:阿玉台2(ローマ数字の2)式期から晩期:安行3c式期
【年代幅】
2,375年間
【住居跡軒数】
推定1,735軒
【平均同時存在住居軒数】
5.37軒

 

という数字になります。

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加曽利貝塚の、
2千年を超える年代幅、
総住居跡数(推定)1,735軒、
5軒を超える同時存在住居軒数、
やはり、特筆に値しますね。

 

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つづく

 

【追伸】
いよいよ、2月27日(土曜日)、
千葉市制100周年記念縄文ミニイベント「春よ来い!」
詳細はココ!(別ウインドウで開く)

 

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春の足音、きこえてきましたか?

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縄文時代のムラを考える 012 2021年2月18日

さらにお伝えしなければならないことは、

 

本シリーズ009で、
10年の耐用年数の住居が、
同時に6軒程度(5.37軒)建っていて、
その期間は約2.400年間である。

と考えると、数字の上でのつじつまがあう

と述べましたが、私が主に研究している縄文時代後期初頭から前半の土器について、
※称名寺式土器は、第1段階から第7段階までの7細分
※堀之内1式土器は、第1段階から第5段階までの5細分
※堀之内2式土器は、a・b・c・d・eの5細分
という、計17細分の時期があるのですが、加曽利貝塚の発掘調査で、

この17細分の土器のすべてが発見されているわけではないのです。

0218naruhodo002

 

この原因が、加曽利貝塚は全体の8%しか掘っていないので、
「その土器がたまたま発見されていないだけ」なのか
「誰も住んでいなかった時期がある」のかすら、わかっていないのです。

 

ですから、私は、今の段階で、加曽利貝塚を紹介するときに、
「加曽利貝塚では、2,000年以上、人が住み続けていた」とは言いません。

 

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「加曽利貝塚では、2,000年以上、くりかえし、土地が利用され続けていた」と表現しています。

 

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「同時に20軒の住居が建っていた時期」もあれば、

「1軒の住居しか建っていなかった時期」もあったとも考えられます。

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「住居が全然ない時期があった」かもしれないのです。

0218naruhodo001

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などと、あれこれ考えるのが、考古学者の仕事です。
みなさんも、一緒に考えましょうよ!

 

※土器が見つかったら、人が住んでいたことになるのか?
※土器の文様からみた時間幅の最小単位が仮に30年とするならば、
10年の耐用年数の住居跡が最低でも3軒確認できなければ、
住み続けたとは言えないのではないか?
※建て替えた痕跡3回分を確認できれば、住み続けたといえるのではないか?

などなど、苦悩は続きます

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【補遺】
称名寺式土器の細分(第1段階~第7段階)については、

0218syoumyouji1-7

称名寺式土器検討会「報告 シンポジウム「称名寺貝塚と称名寺式土器」の報告」
『横浜市歴史博物館紀要』第21号  2017(p35-36)

なお、堀之内1式土器・堀之内2式土器の変遷観は、本シリーズ002で示してあります。

 

つづく

 

0218muraphoto

 

 

 

縄文時代のムラを考える 011 2021年2月16日

前回、住居の数を正確に知ることが難しいことを述べました。
ここでは少しだけ具体的な話をしますね。

 

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【その1】
下の写真をご覧ください。
ここに示した1軒の住居跡の写真、
この講座での今までの説明から考えると、
この住居を、建て始めてから廃絶するまで、
約10年という時間幅があることになります。

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しかし、よく観察すると、柱の穴や炉が重なっていることがわかります。

 

具体的には、
同じ場所で、緑の柱の穴と、青い柱の穴が重なっていることがわかります。
赤い炉の穴も、よく見ると、ふたつほどのくぼみからなる可能性があることがわかります。

0216kasorieast

つまり、住居の建て替えを行っている可能性を指摘できるわけです。

建て替え前と、建て替え後の、2回分の居住期間があった可能性を指摘できるのです。

そのように考えると、
●この住居が建っていた期間は、
10年ではなく20年なのではないのか?
●考古学者がムラの住居の数をカウントするとき、1軒とカウントするのか、2軒とカウントするのか?
●そもそも、考古学者が、建て替えていた可能性を指摘・認識できるか否か

という問題があるのです。

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【その2】
下の写真をご覧ください。
これは、いくつもの住居が同じ場所に何度も建てられた跡です。
最終的なすがたです。
で、ここに何軒の住居が建っていたのでしょうか。

0216daizennnopic

柱の穴が円形にならんで、ぐるっと一周するような住居ならば、
柱の穴が円形に並ぶ輪の数をカウントすればよいのですが、
そのような住居ばかりであるとは限りません。

で、この写真の状況に、何軒の住居跡が存在していたかを知るカギに、
この写真中に何基の炉があるのかが、ひとつのヒントになるかと思います。
で、発掘調査報告書を紐解くと、赤丸のように、
この写真中に、8基の炉があることがわかっています。

0216daizennno

住居1軒に1基の炉という前提にたてば、
この写真中には8軒の住居跡があり、
80年という時間を認識することもできるのですが、
※現在までの長い期間のなかで、流失してしまった炉があったのかもしれない、
※よく焼けていない炉は、炉として認識できないかもしれない、
※この写真中にあっても、【その1】で説明したような、建て替えがあったかもしれない、
などと考えると、本当に不安定な要素がつきまとうのです。

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縄文時代の集落研究者の苦悩は続くのです・・・

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縄文時代のムラを考える 010 2021年2月13日

しかし、しかし、

A:発掘調査では、すべての竪穴住居跡をみつけることができているのか
見逃してしまった住居跡はないのか

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B:斜面に設営された竪穴住居などは、
その後の風雨により竪穴が流出・崩壊したのではないか

 

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C:高床式もしくは平地式の住居は、痕跡が柱の穴だけなので、
見逃してしまう可能性が高いのではないか

 

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D:竪穴住居の耐用年数は、本当に10年なのか
10年を超えるものや、10年に満たないものがあるはず

 

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E:このシリーズ006で示した、
『家が壊れたら、その原因となった、壊れた木材や崩れた竪穴を修理して、全く同じ地点で、家をリフォームする』場合、

リフォーム前とリフォーム後の、2軒(2回)の住居を、私たちは確認できているのか

(このリフォームを私たちは、拡張・建替えなどと呼んでいます)、

0213refor平方メートルkaidate

 

などなど、実にさまざまな不安定な要素があるのです。

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つづく

 

【追伸】
前回お知らせした、
「映(ば)える、加曽利貝塚」写真募集!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

応募期間は、令和3(2021)年2月19日(金曜日)までだよ。
急いで応募しなくっちゃ!

皆さんが自信をもって応募できるよう、
私が撮った、映えない写真をお見せします(笑)。

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ほらほら、投稿しようって気になってきたでしょ?

よろしくお願いします。

 

 

縄文時代のムラを考える 009 2021年2月11日

住居耐用年数は、本シリーズ001で示したような、約10年との前提にたてば、

0211ie1kkenn

そして、
加曽利貝塚に同時に存在していた住居の数がいつも1軒のみであるならば
前回示した、加曽利貝塚で設営されていた住居の数が1,725軒であるならば

1,275軒×10年=12,750年分

ということで、加曽利貝塚には、12,750年分の時間幅がなければいけません。

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しかし、実際の時間幅は、前回示したとおり、2,375年ですから、

12,750年分÷2,375年=5.37軒

という数字が出てきます。

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この、
5.37軒という数字、どういうものなのでしょうか。

それは、つまり、加曽利貝塚では、

10年の耐用年数の住居が、
同時に6軒程度(5.37軒)建っていて、
その期間は約2,400年間(2,375年間)である。

と考えると、数字の上でのつじつまがあう
ということなのです。

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実際の発掘調査の成果から考えると、
加曽利貝塚に同時に存在していた住居の数は、
平均すると、6軒弱と説明することができる

ということなのです。

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しかし、しかし、・・・・・

 

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つづく

 

【追伸】
千葉市制100周年記念縄文ミニイベント「春よ来い!」を開催します。

日程 令和3年2月27日(土曜日)
10時00分~15時00分
少雨決行・荒天中止
場所 加曽利貝塚縄文遺跡公園・加曽利貝塚博物館

詳細はココ!(別ウインドウで開く)

新しい企画は、
「映(ば)える、加曽利貝塚」(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

皆さん、投稿してくださいねっ!

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縄文時代のムラを考える 008 2021年2月9日

加曽利貝塚について、ちょこっと考えてみましょう。
加曽利貝塚の規模みたいなものをつかんでみましょう!

0209muranosugata

ちょっと面倒な計算のお話があります・・・。

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加曽利貝塚は、全体の8%の発掘調査をしています。
8%の発掘調査で138軒の住居跡が発見されています。
もし全面の100%を掘ったならば、
100%÷8%=12.5 分の1
138 軒×12.5 倍=1,725 軒
ということで、
もし加曽利貝塚の全面100%を掘ったならば、
1,725軒の住居跡が発見されることになるのです。

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さて、加曽利貝塚の集落が営まれている時期は、『総括報告書』と最近3年間の発掘調査の成果から、
中期:阿玉台2(ローマ数字の2)式期
から、
晩期:安行3c式期
と考えられます。

この年代幅は?というと、
本シリーズ 縄文時代のムラを考える 003
で紹介した、小林謙一『縄紋時代の実年代講座』に示されている、
阿玉台2(ローマ数字の2)式期(C6期 BC3320)から安行3c式期(BC945)の年代幅から、
2,375年間ということになります。

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加曽利貝塚では、2,375年間で、1,725軒の住居が設営されていたことになります。

 

つづく

 

0209manabukawauso

 

 

 

縄文時代のムラを考える007 2021年2月7日

縄文時代のムラは、加曽利貝塚のような、長い時間幅のなかで、多くの住居跡が発見された大規模な遺跡のほか、

限られた時間幅の遺跡や、少数の住居跡のみが発見された遺跡があります。

0207hukugennjyuukyo

ひとつの遺跡をどのように考えるか、どのように評価するのか、という問題は、これまでに示してきたように、

「想定」と「事実」の間を、反復横跳びのように、

頭の中で、何度も行き来させながら考えていくことが必要なのです。

 

事実を積み重ねてから、縄文時代の遺跡をひとつひとつ個別に評価し、

 

その積み重ねにより、各地域、各時期の「縄文時代像」なるものにたどり着くのです。きっと・・・

 

ということで、参考までに、最近の私の地味な集落分析の例をご覧ください。

 

http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_082_4.pdf(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

つづく

 

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縄文時代のムラを考える 006 2021年2月4日

 

さて、縄文時代において、「家が壊れる」ことにより、新たに「家を建てる」場合、どの場所が選ばれるのでしょうか?

【その1】
家が壊れたら、その原因となった、壊れた木材や崩れた竪穴を修理して、全く同じ地点で、家をリフォームする。
(ビフォー・アフターみたいな感じです!)
現住所:千葉市若葉区桜木8-33-1
引越先:変わらず 千葉市若葉区桜木8-33-1

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【その2】
家が壊れたら、その家を捨てて、同じ場所(遺跡)に、位置をずらして、新しい家を建てる
現住所:千葉市若葉区桜木8-33-1
引越先:千葉市若葉区桜木8-33-2

0204zurasu

【その3】
家が壊れたら、その家を捨てて、違う場所(遺跡)に引越しをして、新しい家を建てる
現住所:千葉市若葉区桜木8-33-1
引越先:千葉市若葉区源町0-00-0

0204hikkkoshi

0204shinnchiku

 

という3つの可能性があります。

 

複雑ですよね!

つづく

0204kawauso

 

 

縄文時代のムラを考える 005 2021年2月2日

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前回、例として「3軒の住居跡が発見された場合」の可能性として、
「同時に3軒の住居が建っていたならば」ですとか、
「同時に建っていた住居が1軒だけならば」と解説しました。

 

 

実際の発掘調査の成果から、この「同時に」ということを証明するのはとても困難なのです。
業界用語では「同時存在」の住居、などと呼びます。

 

同時に存在することを証明するのは困難ですが、
場合によっては「同時に存在しないこと」を証明することはできるのです。

 

例えば複数の竪穴住居跡が発見された遺跡で、
それぞれの住居跡には、もともと屋根など(上屋)が覆っていたのですから、
で、その屋根は竪穴より外部に張り出していました。
(下の図で、赤の矢印で示した範囲のことです。)

0202dannmenn

ですから、
発見された竪穴同士が近接していた場合でも、
その竪穴住居跡同士は、同時に建っていたとは考え難いのです。
物理的にありえないということです。

 

わかりやすい例で示しますと、例えば、
発掘調査の現場で、以下写真のように住居跡が発見されたとします。

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4軒の住居跡(A・B・C・D)が発見されたとします。
それぞれの住居跡から出土した土器から、すべての住居が極めて近い時期に設営されていたものと仮定します。

 

0202abcd

で、


BとCは、完全に重複していますから、同時存在はあり得ません。
AとBも、ほぼ重複するくらい近接していますので、同時存在はあり得ません。
CとDも、ほぼ重複するくらい近接していますので、同時存在はあり得ません。
BとDも、かなり近接していますので、屋根(上屋)を考慮すると、同時存在は考え難いです。
CとAも、かなり近接していますので、屋根(上屋)を考慮すると、同時存在は考え難いです。
唯一、AとDは、ギリギリ、同時存在があり得ないとは断定できない、といえるかもしれません。

このように考えると、この写真の4軒の住居跡からは、
1:AとDが同時に建っていた時期
2:Bが建っていた時期
3:Cが建っていた時期
という、3つの異なる時期の場面(景観)を推測することができます。

しかし、AとDが同時存在である確証はないのですから、
1:Aが建っていた時期
2:Bが建っていた時期
3:Cが建っていた時期
4:Dが建っていた時期
という、4つの異なる時期の場面(景観)をも推測することもできます。

少々面倒な説明で恐縮ですが、1枚の写真からでも、
さまざまな様子をうかがうことができるのです。

つづく
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縄文時代のムラを考える 004 2021年1月30日

例えば、
堀之内1式土器の、あるひとつの段階(第X段階)の土器だけが発見された遺跡、
30年間の時間幅がある遺跡で、
1軒の住居跡が発見された場合、
1軒の住居跡の耐用年数は10年なので、
30年のうち、10年間だけ、縄文人が住んでいたことになり、
残りの20年間は無人であったと考えられます。

0130jyuukyo001

 

●例えば、
堀之内1式土器の、あるひとつの段階(第X段階)の土器だけが発見された遺跡、
30年間の時間幅がある遺跡で、
3軒の住居跡が発見された場合、
以下のA・Bのような、ふたつの想定があります。

 

A:同時に3軒の住居が建っていたならば、
30年のうち10年間だけ縄文人が住んでいたことになり、
残りの20年間は無人であった。

0130jyuukyo002

B:同時に建っていた住居が1軒だけならば、
最初の家aを建て、住まなくなる(10年間)
次の家bを建て、住まなくなる(10年間)
さらに次の家cを建てる(10年間)
というように、30年間、いつも、縄文人が住んでいた。
というふたつの想定です。

0130jyuukyo003

このような考え方を深く知りたい方は、
 黒尾和久2015「第2章 第4節 縄文時代中期の集落像」『新八王子市史 通史編1 原始・古代』八王子市
が大いに参考になります。

さらにややこしいことに、
※家aを建てたヒトが、引き続き、家bを建て、引き続き、家cを建てたのか、
それとも、
※家aを建てたヒトが、家が壊れて、引っ越しして、
別のヒトがたまたまやってきて、家bを建て、
で、さらに別のヒトが、また、たまたまやってきて、家cを建て
という可能性もあるのですよね。

あくまでも、理屈のはなしですけどね・・・

つづく

0130kawauso001

 

 

縄文時代のムラを考える 003 2021年1月28日

0128doki001

堀之内式1・2土器の年代の幅(何年間くらいなの?)については、最新の成果である
 小林謙一『縄紋時代の実年代講座』同成社 2019(p125)
によれば、335年間であるとされています。

で、私たち土器の研究者は、堀之内式土器を10細分しているわけですから、単純に割り算して、ひとつの細分は、おおむね30年間強、ということになります。
土器の破片から、だいたい30年間程度の時間を私たちは認識することができているのです。

イメージとして、「このような文様が施された土器が制作された期間は、だいたい30年間くらい」というような感じです。

つまり、
※ある遺跡から出土した土器の破片が、例えば、堀之内1式土器第3段階だけならば、
その遺跡の年代(時間幅)は30年間くらい

※ある遺跡から出土した土器の破片が、例えば、堀之内1土器第3段階と第4段階ならば、
その遺跡の年代(時間幅)は60年間くらい、
ということになるのです。

つづく
0128doki002

 

縄文時代のムラを考える 002 2021年1月26日

さて、今、私たち考古学研究者、とりわけ土器の研究者は、縄文時代の年代を、どの程度まで細かく知ることができているのでしょうか。

0126dokidoki

縄文時代後期前半に位置づけられている堀之内式土器は、
 堀之内1式土器
 堀之内2式土器
に2細分されています。

 

さらに、堀之内1式土器は、
 第1段階から第5段階
というように、5細分されています。

 

堀之内2式土器も、
 a・b・c・d・e
というように、5細分されています。

 

ようするに、堀之内式土器は、全部で、10細分されているのです。

 

堀之内式土器研究の現状に興味がある方は、
加納実「堀之内式土器」『総覧 縄文土器』株式会社アム・プロモーション 2008(p586)
をご覧ください。

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ここでは、上記文献に示した細分を再録しておきます。
雰囲気だけでもつかんでください。
「あぁ、縄文土器の研究、時期を細かく分けるっていう研究って、こんな感じなんだぁ!」
という程度で十分です。

 

堀之内1式土器の5細分(第1・2・3・4・5段階)

0126horinouchi1 

石井 寛1993『牛ケ谷遺跡・華蔵台南遺跡』(財)横浜市ふるさと歴史財団
より作成 ・再録 

 

堀之内2式土器の5細分(a・b・c・d・e)

0126horinouchi2

石井 寛1984 「堀之内2式土器の研究( 予察)」『調査研究集録』第5冊 港北ニュータウン埋蔵文化財調査団
から転載 ・再録 

 

つづく


 

 

縄文時代のムラを考える 001 2021年1月24日

昨年は、ラオス・台湾・中華人民共和国の建物を紹介してきました。

例えばコレ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さて、これらの建物は、一体、つくりはじめてから壊れるまで、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。
一軒の家を建てて、その家が壊れて、住めなくなるまで、一体、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。

0124gennya

0124kouji

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0124haiokuill

 


「耐用年数」とか「耐久年数」とか「使用年数」などと表現される考えです。

さて、遺跡から発見される竪穴住居跡について、耐用年数は、どの程度だったのでしょうか。

 

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千葉県の例を用いた竪穴住居の耐用年数の研究については、縄文時代の例ではありませんが、古墳時代の研究事例があります。

代表例として、以下の2つの例をご紹介しておきます。

蜂屋孝之「小さく建て替えられた竪穴の発見−草刈遺跡E区の事例から−」(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
『研究連絡誌』第74号 公益財団法人千葉県教育振興財団 2013(p45参照)

木對和紀「竪穴住居の耐用年数からみた房総における古墳時代須恵器の出現と終焉-椎津茶ノ木遺跡を中心としてー」(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
『市原市文化財センター研究紀要』2. 財団法人市原市文化財センター 1993(p309参照)

これらの分析成果では、竪穴住居の耐用年数がおおむね10年程度であると示されています。

 

つづく

 

 

 

 

縄文時代のムラを考える プロローグ 2021年1月21日

今年もよろしくお願いします。

さて、

この日記では、「縄文土器の魅力」や「ネットで全国縄文土器めぐり」などと題し、縄文土器のもつ魅力などを伝えてきました。

縄文時代の遺跡を発掘すると、縄文土器とならんで、私たちの興味をひくものとして、住居の跡があります。

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年明け、新たな気持ちで、考古学に興味をもつ中級・上級者向けに、「縄文時代のムラを考える」をお届けします。

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頻繁に更新する予定ですので、勉強がてら、おつきあいください。

 

 

2020年12月27日

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年の瀬 2020年12月25日

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本年も大変お世話になりました。

今年は、早春から「新型コロナウィルス感染症」なる、耳なれぬ、聞きなれぬ言葉に翻弄され、

収束を見込めぬまま年の瀬を迎えてしまいました。

博物館もこのコロナ禍とどのように向かい合うか、試行錯誤の1年間でした。

年末年始、おとなしくゆっくりと休暇をとりつつも、新たな年にむけての博物館の青写真を、あれこれ思い浮かべようと思います。

さて、この「館長の考古学日記」も昨年12月27日のお披露目以来、回を重ねてまいりましたので、

このあたりで気分一新、リニューアルとさせていただきます。

リニューアルに伴い、一両日中にこれまでの日記を消去いたしますので、今が見納めです。

なお、この日記で取り上げたラオスの動画やら音声やらは、引き続き、YouTubeでご覧いただけます。

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 加曽利 館長 ラオス

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年明けリニューアル予定の日記を楽しみになさってください。

それでは良いお年をお迎えください。

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ネットで全国縄文土器めぐり【愛媛県】 2020年12月20日

 

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私のなかで、愛媛といえば・・・、

じゃこてん 北針 二宮忠八 ちゃんぽん 打瀬船 真網代地区 穴井地区 西井久八

 

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私にとって愛媛県は、とてもとてもなじみのある場所・・・・
いろいろと語りたいことはあるのですが、ここは「館長の考古学日記」、
ぐっとこらえて、ネットで全国縄文土器めぐりっ!

 

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で、ここ愛媛県は、九州の縄文土器、とりわけ後期の土器を語るうえで、とてもとても重要なのです。
本当に重要なのです。

ですので、
そこんトコ、ちゃんと、解説しますね!

さて、
今回紹介する土器は、
南宇和(みなみうわ)郡愛南(あいなん)町、
平城(ひらじょう)貝塚出土の後期の土器です。
平城1.式土器などと呼ばれている土器です。

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まずは、愛南町、
とにかくとにかく良いところです。

 

愛南町(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

地名に「愛」がついているだけで、
ミーハーな私は、なんか、イチコロです・・・

風光明媚、海が奇麗で、食事も美味しいし、
私は、終の棲家を選ぶのなら、
別府市と並んで、愛南町、こういうところがイイです。
根っからの千葉県人である家内は反対するでしょうが・・・

平城貝塚については、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

もういっちょ、ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さらに、ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

【平城貝塚出土 平城1.式土器】
この写真は、私が愛南町で撮影させていただいたものです。
写真の掲載につきましては、
愛南町教育委員会のご配慮をいただきました。
ありがとうございます。

さてさてさて、
平城貝塚出土土器、
なんか見覚えありませんか?

ここでちょっと復習しよっか。

7月2日【熊本県3】
8月9日【福岡県】

をもう一度ご覧ください。

そこではこのような解説をしました。

長崎県白浜貝塚例

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熊本県逆瀬川遺跡例

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福岡県石町遺跡例

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≪黄色≫
メインの文様(主文様)は横長のJ字文です。
 (メインの文様は、突起や橋状把手-きょうじょうとって-の下に施されます)。

 

≪青≫
主文様の上には、上下逆のJ字文があります。

 

 

≪赤≫
主文様を下から支えるように、横に間延びしたようなV字状の文様があります。

 


ここで、もう一度、今回の平城貝塚の土器を観察してみましょう!

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ほら、ネっ!
シンプルな構成ながら、九州の土器にあらわれている要素を、見つけることができますよね。
九州の後期の土器を備える土器の、先祖となるようなシンプルな構成の土器は、

愛媛県の大分県寄りの地で発見されているのです。

もちろん、いまだ地中に眠る未発見の遺跡があることを考えれば、現状で断定することはできません。

しかし現状では、九州の後期の土器の起源と考えられる土器のうち最も古い例は、

九州とは豊後水道をはさんだ反対側の地で発見されているのです。

面白いですよね・・・

で、じゃぁ、この平城1式土器は、どのように成立したかというと、それは後日ネ!

最後に、
愛媛県の博物館については、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

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このページの情報発信元

教育委員会事務局生涯学習部文化財課加曽利貝塚博物館

千葉市若葉区桜木8丁目33番1号

電話:043-231-0129

ファックス:043-231-4986

kasorikaiduka.EDL@city.chiba.lg.jp

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