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更新日:2020年8月9日

館長の考古学日記

ネットで全国縄文土器めぐり【福岡県】 2020年8月9日

いよいよ九州は、残すところ、福岡県と佐賀県のみ。
で、今回は福岡県!

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九州の後期前半に位置づけられる鐘崎式土器について、長崎県白浜貝塚の例や、熊本県逆瀬川遺跡での例をご紹介したところです。

 

今回、福岡県でご紹介する土器は、この鐘崎式土器がどのように変化していくのかというお話をするために、取り上げるものです。

【福岡県築上(ちくじょう)郡築上町 石町(いしまち)遺跡出土土器】

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(石町遺跡出土土器の掲載に際しては、築上町教育委員会および九州歴史資料館のみなさまのお手を煩わせました。みなさん、ありがとうございます。)

築上町歴史散歩(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

国指定史跡船迫窯跡(ふなさこかまあと)

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

0809logo(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


九州歴史資料館(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

ちなみに、私のなかでは、築上町といえば、メタセコイヤ。

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さてさて、ここで復習です!
以前に長崎県白浜貝塚出土土器と、熊本県逆瀬川遺跡出土土器の解説をしましたよね!
【白浜貝塚例】

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【逆瀬川出土例】
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解説としては、
////////////////////////////////////////////////////
≪黄色≫
メインの文様(主文様)は横長のJ字文です。
 (メインの文様は、突起や橋状把手-きょうじょうとって-の下に施されます)。
≪青≫
主文様の上には、上下逆のJ字文があります。
≪赤≫
主文様を下から支えるように、横に間延びしたようなV字状の文様があります。
≪緑≫
 V字状の文様の途中(ちょうど真ん中あたり)に、横長のJ字文もしくは段差(クランク)のような文様があります。
≪桃≫
一番下には、渦巻文があります。
 (渦巻文は、口縁の突起などの下に施されます)
///////////////////////////////////////////////////
というものでした。

 

で、この視点に立って、今回の石町遺跡の土器を観察すると、

今回の石町遺跡例、

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というように、各文様等が明瞭に帯縄文化(おびじょうもんか)して、なおかつ、かなり簡略化していることがご理解いただけるかと思います。

そしてそして、どんどん簡略化が進み、メインの文様は簡単なアクセントになってしまい、文様は横方向だけの帯縄文のみになっていくのです。
この簡略化が進んだ例を示しましょう。
【久留米市野口遺跡】

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(野口遺跡出土土器の掲載に際しては、久留米市教育委員会のみなさまのお手を煩わせました。ありがとうございます。)

久留米の魅力は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

久留米といえば、
絣!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


ちなみに、私のなかでは、久留米といえば、田主丸の河童。

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さてさて、話を戻そう!
このほか、久留米市野口遺跡例と概ね同様の簡略化が進んだ土器として、「四箇(しか)遺跡」から出土した後期の土器を紹介したいと思います。
福岡市早良(さわら)区の四箇田(しかた)団地の建設に伴い発掘調査された遺跡です。
リンク先の土器をご覧ください。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/428233(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/439249(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/361337(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/394875(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

0809logo(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

次回はいよいよ九州の最終回!
佐賀県です!
感動のフィナーレとなるか・・・

 

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【大分県】 2020年7月31日

このたびの令和2年7月豪雨で被災された皆さまならびにご家族の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復興を祈念しております。

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国宝 臼杵摩崖仏

 

ようやく大分県、やっと大分県、ついに大分県!

 

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さて、
大分県の縄文時代の遺跡といえば、個人的には、
※大分市小池原(こいけばる)貝塚
※速見(はやみ)郡日出(ひじ)町早水台(そうずだい)遺跡
※宇佐(うさ)市飯田二反田(はんだにたんだ)遺跡(旧:宇佐郡安心院(あじむ)町)
※由布(ゆふ)市十合野(じゅうごの)遺跡(旧:大分郡庄内(しょうない)町)
※宇佐市西和田(にしわだ)貝塚
※竹田(たけた)市コウゴー松遺跡(旧:直入(なおいり)郡久住(くじゅう)町)
※竹田市寺ノ前遺跡(旧:直入郡荻(おぎ)町)
※豊後大野(ぶんごおおの)市田村遺跡(旧:大野郡朝地(あさじ)町)
※豊後大野市大石遺跡(旧:大野郡緒方(おがた)町)
※竹田市ヤトコロ遺跡(旧:直入郡荻町)
※中津市法垣(ほうがき)遺跡
※中津市植野(うえの)貝塚
そぉそぉ、
※中津(なかつ)市枌(へぎ)洞穴(旧:下毛(しもげ)郡本耶馬渓(ほんやばけい)町)
※玖珠(くす)郡九重(ここのえ)町二日市(ふつかいち)洞穴
※竹田市政所(まどころ)遺跡―報告書名は政所馬渡(まどころまわたり)―(旧:直入郡荻町)
などなど、たくさんあります。

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気持ちのうえでは、いつでも大分県に引っ越しする準備はできています!

さてさて、
数ある大分県の縄文時代の遺跡から出土した土器のうち、今回、私が取り上げる縄文土器は、
大分市横尾(よこお)貝塚出土の土器群です。

横尾貝塚(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

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横尾貝塚の詳細は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

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横尾貝塚出土土器群

この写真は、大分市歴史資料館から提供を受けました。大分市歴史資料館のみなさん、ありがとうございます。

大分市歴史資料館(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

この土器群は、岡山県倉敷(くらしき)市中津(なかつ)貝塚出土土器を標式とする後期初頭の土器、中津式土器などです。

平行する2本の沈線の間に縄文を施し、帯状の縄文部分で、渦巻文・J字文・円形文などを施す土器です。

中津式土器は西日本一帯で出土します。

この中津式土器と系譜を共にする称名寺式土器は東日本一帯で出土します。

つまり、この中津式・称名寺式土器は、西はこの日記で紹介した熊本市黒橋貝塚から、

東は青森県三沢(みさわ)市猫又(2)遺跡(ねこまた)で出土しています。

電車で行くなら1950kmもあるんだね。すごい距離だね。

 

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熊本市黒橋貝塚出土中津式土器

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猫又(2)遺跡出土称名寺式土器
三沢市教育委員会 2013 『猫又(2)遺跡 3.』三沢市埋蔵文化財調査報告書27 から転載


つまり、写真や図のような土器が出土したら、

それは、西は熊本から東は青森まで、どこであってもその土器はだいたい同じ時期につくられたものなのです。

具体的には、紀元前2440年~2285年頃につくられた土器だとわかるのです。
(土器型式の年代については、小林謙一『縄紋時代の実年代講座』同成社 2019 より)

興味深いですよね。

 

私、数ある縄文土器のうち、この中津式土器が一番好きで、

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいたくらいのむかしっから、勉強をしています。
その証拠といってはなんですが、

私が中津式土器について初めて言及した1986(昭和61)年12月の研究ノートをご覧ください。
研究ノート(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
約35年も前のことなんですね。私は何と進歩していないのだろう。自己嫌悪です・・・。


気を取り直して、
大分県、
魚介類はおいしいし、温泉三昧だし、本当に本当に良いところですよ。

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「大分の二度泣き」って、聞いたことありませんか?
えぇ~っ、知らないの?早速、ネットで調べてみましょぉよっ!

私にとって大分県は思い出深い場所。ユニード、明屋書店、ベスト電器、パルコとか。
あゆみのとり天定食とか、なぜか屋上に実物大のセスナ機が飾ってあった病院とか・・・。OABなんてなかったよ。

【追伸】
〇7月25日(土曜日)開催の、
加曽利貝塚博物館特別研究講座
考古学研究の最前線
-パラダイムシフト 縄文時代をどう捉えるか-
につきまして、無事に終えることができました。
ご足労いただいたみなさん、

千葉市生涯学習センターをはじめとする関係者のみなさん、

本当にお疲れさまでした。

次回の企画をはじめましたので、今後ともよろしくお願いいたします。

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〇8月30日(日曜日)までの予定で、
ミニ企画展示『県内縄文遺跡展』
ー千葉県の縄文時代研究を彩った遺跡たちー
君津市三直貝塚編
を開催しております。
目を奪われるような遺物を展示しております。
是非とも足を運んでください。

〇9月13日(日曜日)までの予定で、
夏休み企画展
「調べて発見!わたしのまちの縄文時代」
を開催しております。
この夏、自分たちが暮らす足もとを、
見つめなおしてみましょう!

 

ネットで全国縄文土器めぐり【熊本県】特別番外編2 2020年7月22日

五木村、
素敵な博物館があるのですよ。

その名は、
五木村歴史文化交流館 ヒストリアテラス五木谷
かっこいいですよ!
ちょっとのぞいてみましょうね!
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

博物館をつくるとき、博物館側(自治体側)の想いと、

建設する側(設計業者さんや施工業者さん)の創意・工夫とが、

阿吽(あうん)の呼吸でどこまでマッチするかが大切なのです。
私はこのヒストリアテラス五木谷、

両者の息づかいが、とてもとてもマッチしたような印象を受けます。
ということで、ここではあえて、

博物館の施工業者さん側からみたヒストリアテラス五木谷についても、紹介しておきます。

五感で触れる歴史民俗資料館の新しいスタイル(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

両者を見比べてみてくださいね!博物館の新たな観察方法です!

 

 

で、最後に、
道の駅 子守唄の里 五木(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

がんばらにゃんたぃ、熊本っ!

加納 実

 

ネットで全国縄文土器めぐり【熊本県】特別番外編 2020年7月14日

なにげなく目にしているホームページ、例えばこの日記においては、各地の縄文土器の写真を掲載していますが、よくみていただくと、写真の下の方に「この写真は000教育委員会から提供していただきました。ありがとうございます。」など、お礼の気持ちを添えています。

 

遺跡の発掘調査で得られた土器などの遺物や、さまざまな記録類(写真や図面)は、地元の教育委員会や博物館がしっかりと管理をしています。ですから、土器の写真をホームページに掲載するときには、地元の教育委員会や博物館の方々に、写真の提供をお願いしているのです。

 

 

写真の提供を各地の教育委員会などにお願いするときには、昔からの知り合いの方もいれば、初めてお話をする方もいます。さりげないホームページの1枚の写真の背後にも、じつは、さまざまな出会いがあるのです。

 

さて先日掲載した五木村の逆瀬川遺跡出土の土器の写真の手配については、初めて知ることとなった五木村の職員の方との間で、こんなやりとりがありました。

 

私からメールで、「図録に掲載されている逆瀬川遺跡の縄文土器の写真をホームページに掲載したいのですが・・・」と問合せたところ、返信のメールに「写真データは、今しがた撮ったものです。」と、私の日記のためにわざわざ撮影していただいた写真データが添えられていました。驚きと共に、感謝の気持ちを重ねていたところでした。

 

こんな心温まるやりとりが背景にあるこの日記、熊本県の縄文土器めぐりは、第1回が6月3日更新、第3回が7月2日更新でした。この1か月の間、私、熊本の縄文土器に思いを巡らせていたところでした。

 

そんな折、7月4日(土曜日)からの豪雨により、球磨(くま)川水系最大の支流である川辺(かわべ)川が流れる五木村にも被害が発生しました。

 

豪雨発生から4日後の7月8日(水曜日)、この五木村の職員の方から、ネット環境がようやく復旧した旨と、踏ん張りどころである旨の言葉が届きました。

 

短い文章の中に、力強い決意のようなものがみなぎっており、遠方の地では何の力添えもできないむなしさと、ご無事の様子を知った安堵とが複雑に入り混じりました。

 

まさに悲喜交々(ひきこもごも)でした。

 

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【熊本県3】 2020年7月2日

ご無沙汰です・・・

今回は熊本県の最終回。

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本日紹介する土器は、球磨(くま)郡五木(いつき)村の逆瀬川(さかせごう)遺跡出土の後期の縄文土器です。

五木村といえば、「五木の子守唄」ですよね。

 

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五木村(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

もういっちょ、(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

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五木の子守唄(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
歌詞と現代訳を、よくよくかみしめていただければと思います・・・

五木村の狩猟民の話、考古学者の味わい深いコラムは、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


さて、逆瀬川遺跡から出土した後期の縄文土器、
長崎県で紹介した白浜貝塚の例と同じ、鐘崎(かねざき)式土器です。
長崎での解説の際は「加飾を排した西日本後期の洗練美」と称しましたが、今回は、ちょっと詳しく説明します。

 

【熊本県:逆瀬川遺跡例】

 

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逆瀬川遺跡出土縄文土器の写真につきましては、五木村教育委員会から提供していただきました。

ありがとうございます。

 

【長崎県:白浜貝塚例】

 

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ふたつの土器、【熊本県:逆瀬川遺跡例】と【長崎県:白浜貝塚例】とは、パッと見は似ていますが、どのように似ているか、解説してみますね。

見た目はよく似ている縄文土器の、個別の文様や、文様の配置から、ふたつの土器がどのように似ているのかを知ることができます。

 

以下、写真の色のついた四角と、写真の下の、各色の解説を見てくださいね!

 

 

【熊本県:逆瀬川遺跡例】

 

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【長崎県:白浜貝塚例】

 

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≪黄色≫
メインの文様(主文様)は横長のJ字文です。
(メインの文様は、突起や橋状把手-きょうじょうとって-の下に施されます)。

≪青≫
主文様の上には、上下逆のJ字文があります。

≪赤≫
主文様を下から支えるように、横に間延びしたようなV字状の文様があります。

≪緑≫
V字状の文様の途中(ちょうど真ん中あたり)に、横長のJ字文もしくは段差(クランク)のような文様があります。

≪桃≫
一番下には、渦巻文があります。
(渦巻文は、口縁の突起などの下に施されます)


と、こんな感じなのです。縄文土器を知る手がかり、その第一歩は、『比較』です!「何が似ているのか」「何が似ていないのか」を考えることです。

 

最後に、森高千里さん、石田えりさん、荻野目慶子さん、倉科カナさん、永島暎子さん、島田陽子さん、夏川結衣さん、橋本愛さん、宮崎美子さん、福田沙紀さん、石川さゆりさん、熊本県出身なのですね・・・。この人選、というか、このピックアップ、おっさんたる所以でしょうか・・・。
島田陽子さんは、某国営放送の大河ドラマ「黄金の日日」-昭和53(1978)年-で、熊本県ゆかりの「細川ガラシャ」を演じていましたよね!
細川ガラシャの詳細は、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
ガラシャ、せつないですよね・・・

「麒麟がくる」のガラシャ、誰になるのだろう・・・

 

さてさて、次回は、残る大分・福岡・佐賀のいずれか・・・、乞ご期待!

 

 

【追伸】
すでに当館HPでご案内差し上げたとおり、7月25日(土曜日)、生涯学習センターにおいて、抽選ではありますが、加曽利貝塚博物館特別研究講座を開催します。

詳細(別ウインドウで開く)

チラシ(PDF:663KB)

 

この日記に認めていることを、専門家にむけてお話しします。当館HP記載のとおり、日本の考古学研究の最先端に触れることができる数少ない機会になろうかと思いますので、是非ともご応募ください。応募の締切は7月10日(金曜日)ですからね!

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

 

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【熊本県2】 2020年6月14日

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★はじめに

本日は熊本県の第2弾!
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熊本市の黒橋貝塚出土土器をご紹介します。
今回は、ちょこっと、縄文土器の見方、みたいなものにもふれますね。

 

さて、熊本県の縄文時代の国指定史跡は、「阿高・黒橋(あだか・くろばし)貝塚」と、「御領(ごりょう)貝塚」のふたつです。

いずれも熊本市南区城南町にあります。
「阿高・黒橋貝塚」(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

指定名称は、「阿高・黒橋貝塚」となっていますが、私のような年寄りには、「阿高貝塚」と「黒橋貝塚」、というような、別々の感じになります。

★阿高貝塚と阿高式土器

阿高貝塚は中期「阿高式土器」の標式遺跡です。

阿高貝塚の埋蔵文化財発掘調査報告書は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

阿高式土器の研究については、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
三輪 晃三 1996『九州阿高式系・縁帯文系土器群の研究―縄文中・後期の土器ホライズンの形成とその背景― 』奈良大学大学院研究年報 1号

 

この阿高式土器は、中期に属しますが、その系譜をひく土器は、後期まで残ります。
関東地方で中期の加曽利E式土器が後期まで残るのと同じような感じですね。
ちなみに、この阿高式土器によく類似した土器が、なんと、千葉県市原市西広(さいひろ)貝塚でも確認されています。
西広貝塚例(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
で、この阿高式土器、千葉県よりもっと北からでも出土している例があります。このあたりのはなしは後日!

 

★黒橋貝塚

一方の、黒橋貝塚、

埋蔵文化財発掘調査報告書は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

もういっちょ!

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

★黒橋貝塚と阿高式土器

黒橋貝塚も、阿高式土器が多く出土する遺跡です。
阿高式土器は、埋蔵文化財発掘調査報告書の後半部分を見ていただければご理解いただけると思います。

縄文土器に一般的な沈線よりも、やや太い線、わたしたちは凹線(おうせん)などと呼びますが、この凹線によって、さまざまな意匠を施す土器です。
意匠(図形)もさまざまですが、意匠を施す部位(施文域 せもんいき)も、器面(きめん)全体であったり、器面の上半分のみであったり、やはり、さまざまです。

文様全体を描く方向も、横方向であったり、縦方向であったり、短い意匠を幾重にも重ねたりと、本当にさまざまなのです。

しかし、一貫して、縄文を施さない特徴があります。

このほか、土器づくりに用いる粘土に滑石を混ぜることが多く、底部には鯨(くじら)の椎骨(ついこつ)の圧痕が認められます。

土器を製作する際の台(製作台 せいさくだい)に鯨の骨を使ったのでしょうね。
このはなしの詳細は、前回紹介した記事をご覧ください。
前回、紹介した記事(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

阿高式土器、本当に面白いのですよ!埋蔵文化財発掘調査報告書を紐解くと、本当に面白いですよ!

 

★黒橋貝塚出土土器

さてさて、本題、
熊本市の黒橋貝塚出土土器、2点をご紹介します。

紹介する土器は、黒橋貝塚出土土器のなかでは、極めて少数派の土器です。

その1

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文様などをちょっと解説してみますね!

-------------------------------------------------------
※深鉢(ふかばち)ではなく、椀形の土器です。
※土器の上のふち(口縁 こうえん)には縄文が一周します。
※土器の下の方にも沈線が一周します。
※口縁に一周する縄文と、下の方に一周する沈線の間に、2本の平行する線で丸い文様を描きます。
※平行する線の間には縄文が施されます。
※丸い文様の上には、一本の横方向の沈線が施されます。
※丸い文様と丸い文様の間をうめるように、糸巻のようなかたち(芯だけ残った、食べ終えたリンゴのようなかたち)の文様を施します。
※この文様のなかには縄文を施し、さらに、縦方向の蛇のような文様(蛇行文 だこうもん)を施します。

-------------------------------------------------

わたしたち縄文土器の研究者は、こんなように、土器を観察しているのです。
なお、参考のために、これをプロ向けに解説するとなれば、以下のようになります。

-------------------------------------------------
椀形の個体で、口縁の縄文帯と体部下半の沈線との間には帯縄文による円形意匠を配し、円形意匠間には、円形意匠に制約される意匠が施され、この意匠内には縄文と従位の蛇行文が施される。なお、円形意匠の上部のみに、円形意匠の幅に対応する単沈線が横位に配される。
-------------------------------------------------

と、こんな感じです。

で、次、

その2

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さぁ、観察してみましょう!
ようするに、誰かに、この土器を説明してみる、っていう感じなのですよ。
土器の現物や、写真や、図がないのに、その土器を説明しなければならない、って感じで!

で、私のプロ向けの解説としては、

-------------------------------------------------

4単位の波状を呈する器高の低い個体で体部中位はやや括れる。口径と底径に大きな差はない。波頂部にはU字状の凹部が作出され、U字状下内面には円形押捺が施される。口唇面には単位部を繋ぐような沈線が施される、口縁下には円形刺突を施す横位の帯状の施文域が2段作出される。この横位の帯状の施文域下の単位部において、従位に2段の菱形の意匠が配される。2段の意匠内には地文となる刺突と従位の太い短沈線が施される。

-------------------------------------------------

と、こんな感じでしょうか・・・

さてさて、この2個体、上のものは縄文が施されています。下のものは、丸い刺突(ポチポチしたやつ)は、縄文をまねしたもの(疑縄文 ぎじょうもん)だとも思われます。

阿高式土器は縄文を施さないものが基本だと説明しましたが、この2点の土器は、縄文や疑縄文を施す特徴があります。

このような特徴は、瀬戸内以東の地域から後期になって伝わってくる要素なのです。

文様を単に、一本の線で描いて、表現するのではなく、「縄文を施す部分」と「縄文を施さない部分」との対比によって、文様をきわだたせる要素が、ここ九州において、後期になると、瀬戸内以東から、新たな要素としてやってくる、ということなのです。
この新たな要素を、業界では「磨消縄文 すりけしじょうもん」などと呼びます。

 

★おわりに

最後に、
この2点の写真は、熊本県立装飾古墳館にご手配いただきました。
熊本県立装飾古墳館のみなさま、ありがとうございます。

熊本県立装飾古墳館(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


熊本といえば、私たち考古学の世界では、装飾古墳です。
石でつくった棺―ひつぎ―(棺桶 かんおけ)や、棺を納める部屋(石室 せきしつ)に、さまざまな意匠や絵画を施すもので、見る者を異空間へいざなう不思議な魅力をもっています。
みなさんも、是非、まずは、ネットで旅してみて、実際に、現地に足を運んでみてください。

装飾古墳の謎(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

装飾古墳の例は、
装飾古墳例1.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

装飾古墳例2.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

装飾古墳例3.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

装飾古墳例4.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く) 

出展は、

0614logo(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さて、 

熊本県立装飾古墳館が所在するのは、熊本県山鹿(やまが)市、
山鹿市(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
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山鹿市といえば、まずは、山鹿温泉、
山鹿温泉(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
ホント、いいトコですよ!

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あとさぁ~、九州新幹線も、まだ、乗ったことないんだよなぁ~、
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ネットで全国縄文土器めぐり【熊本県1】 2020年6月3日

今回は熊本県です。

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お好みの土器がいくつかありますので、何回かに分けて紹介しますね。

 

まずは、熊本県の博物館の情報を知るには、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト
「熊本県博物館資料データベース」で、おもな出土遺物などを検索できます。
「熊本県内学芸員等人材データベース」はとてもとても興味深いです。

さて、今回紹介する土器は、宇土(うと)市曽畑(そばた)貝塚出土土器を標式とする曽畑式土器です。前期に位置づけられています。

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(熊本県宇土市教育委員会の許可を得て、宇土市デジタルミュージアム公開の宇土市埋蔵文化財調査報告書第32集「曽畑貝塚」より転載させていただきました。宇土市教育委員会のみなさま、ありがとうございます。)
報告書は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

宇土市全般の情報は、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
宇土市デジタルミュージアム

曽畑貝塚については、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


さて、この曽畑式土器、すでに1930年代後半あたり(昭和10年代前半)に、朝鮮半島の櫛目文土器と呼ばれる土器群との関係が考えられていました。

櫛目文土器のイメージ(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
―韓国の国立中央博物館の名品30選 鉢(櫛目文土器)―

短い沈線で、縦・横・斜め方向の文様を幾重(いくえ)にも重ねて描く土器で、土器をつくる際の粘土に滑石(かっせき)という、白くて柔らかい石の粒を混ぜる特徴があります。また底部は丸底(まるぞこ)が基本です。

この曽畑式土器については、朝鮮半島との関係が指摘されていますが、その成立(どのように誕生したのか)については、
〇九州の縄文土器のなかから成立した
〇朝鮮半島の影響により成立した
という両論があり、議論・研究が続いています。

なお、この滑石を入れた土器のイメージをご覧ください。
お示しする土器は九州の後期初頭のものですが、「こんな感じで、白い石の粒が入っているんだ」、という感じをつかんでくださいね。
イメージ(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


さてさて、宇土市といえば、考古学の世界では、曽畑式土器と並んで、ピンク石―馬門石(まかどいし)―が有名です。阿蘇山の溶岩に由来するピンク色の混じる石で、大阪など、関西の有力者の古墳の石室に使われています。この宇土の地から大阪などまで、船で大きな石を運んだのでしょうね。
で、この、夢にあふれた話は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

で、最後に、宇土市といえば、御輿来(おこしき)海岸!
とにかく美しいのですよ・・・

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再開のごあいさつ 2020年5月26日

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、加曽利貝塚博物館は休館しておりましたが、千葉県の施設の使用停止要請が解除されましたので、本日5月26日(火曜日)から、利用を再開します。

さて、本年3月26日から3日間にわたり、「博物館での仕事をめざす諸君へ!」と題し、この日記において、私の展示に対する考えをお示ししました。

展示とは実物を見せる行為であること、また、博物館とは研究の成果を展示というかたちで示す場所であることを示してきたところです。

博物館にとっての休館期間は、「来館者のみなさま」と「実物」との断絶を生み出しましたが、本日この再開に際し、私たちは、みなさま方へ、より多くの「実物」を、より魅力的なかたちで示すことができるよう、わずかばかりの工夫をこらしました。

「来館者のみなさま」と「実物」の出会いが、まずは、あらたな「興味」「関心」「思い出」を生み出すことになればと願ってやみません。

千葉市立加曽利貝塚博物館 館長 加納 実

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ネットで全国縄文土器めぐり【長崎県】 2020年5月20日

今日は長崎県!

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長崎県の文化財を概観するには、まずは、
長崎県の文化財(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

さらに、長崎県の主な遺跡や遺物については、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

で、長崎県の縄文時代のイメージといえば、まずは、
佐世保(させぼ)市泉福寺洞窟(せんぷくじどうくつ)(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

と、
泉福寺洞窟出土豆粒文(とうりゅうもん)土器(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さらに、
佐世保市福井(ふくい)洞窟(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

共に、縄文時代の起源を考える上で欠かすことのできないものです。

このほか、私の興味をひくものは、石でつくった銛(もり)など。

石銛(いしもり)・石鋸(いしのこぎり)・鋸歯尖頭器(ぎょしせんとうき)などと呼ばれる石器です。

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

最近の研究は、

久我谷渓太2016「鋸歯尖頭器・石鋸の系譜と展開」『東京大学考古学研究室研究紀要』第30号(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さらにさらに、長崎県では、朝鮮半島との交流に係る研究が進んでいます。
古澤義久2014「玄界灘島嶼域を中心にみた縄文時代日韓土器文化交流の性格―弥生時代早期との比較―」『東京大学考古学研究室研究紀要』第28号(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さてさて、そんななか、私がご紹介したい縄文土器といえば、五島(ごとう)列島に位置する五島市白浜(しらはま)貝塚出土の後期の土器です。五島列島を構成する福江(ふくえ)島(旧福江市)に所在する貝塚出土の土器です。私が大好きな土器です。

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1980年代初頭には珍しい、黒い表紙のカッコいい埋蔵文化財発掘調査報告書の巻頭図版のカラー写真を何度となく熱い眼差し(まなざし)で見つめたものです。

今回は五島市教育委員会および五島市観光歴史資料館のご厚意により、この巻頭カラーの写真をここに掲載することができました。関係者のみなさん、ありがとうございます。
五島観光歴史資料館(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

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この土器は、福岡県宗像(むなかた)市(旧:玄海町げんかいまち)の鐘崎(かねざき)貝塚出土土器を標式とする鐘崎式土器です。後期前半、九州北半を中心に分布します。
私は、東日本の中期の縄文土器に代表されるあでやかで華々しい装飾とは対極をなす、この加飾を排した西日本後期の洗練美が、とてもとても気に入っています。
上下に狭い文様施文域に、横方向の凛とした直線模様と、奥ゆかしい入組模様が、とにかく好きなのです。
私、このような土器群、1980年代初頭から、あれこれ、40年もの間、見つめてきたのです・・・。
この先、この鐘崎式土器及び周辺の土器群については、何度か紹介する予定です。

鐘崎式土器は、関東地方の堀之内1式土器後半から堀之内2式土器と同じような時期だと考えられます。
【参考】
堀之内1式土器後半(加曽利南貝塚出土)↓

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堀之内2式土器(加曽利南貝塚出土)↓

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余談ですが、私は、東日本においては、加曽利E式土器・称名寺式土器・堀之内式土器の勉強をしているのですが、個人的な美的感覚(そんなもの、あるのか・・・)からいうと、椀(わん)形で小形の加曽利B1式土器が好きです・・・。なんとなくわかるでしょ?

加曽利南貝塚出土加曽利B1式土器↓

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最後に、五島市といえば、

世界遺産(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/index.html

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/ichiran/1407709.html

世界遺産の島(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
https://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/

数々の教会(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/

でも、
忘れないでね!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
https://goto.nagasaki-tabinet.com/junrei/knowledge/

で、最後に、白浜貝塚の位置する福江島は、大河ドラマ「麒麟がくる」で「帰蝶」を演じる川口春奈さんの出身地なのです。

私の勝手なイメージです(笑)

 

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愛知県清須-きよす-市清洲公園の濃姫像↓

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もういっちょ、最後の最後、
私、かんころもち、好きです・・・

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【追伸】
文化財の世界では、世界遺産とは別に、日本遺産というものがあります。
世界遺産や指定文化財との差異を勉強してくださいね。
日本遺産(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

【追伸2】
以前にtwitterでも紹介しましたが、「館長の考古学日記」でのラオスの紹介が、在ラオス日本大使館のFaceBookで紹介されました↓

FB(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【宮崎県】 2020年5月19日

さてさて、鹿児島に引き続き、今回は宮崎県!

 

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私のなかでは宮崎県といえば、まずは、高千穂(たかちほ)町の高千穂峡!
ホント、美しかったですよ!

 

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で、考古学の業界では、宮崎県といえば、特別史跡西都原(さいとばる)古墳群ですよね。
加曽利貝塚と同じ特別史跡なのですよ。

特別史跡・加曽利貝塚・西都原古墳群が、これをみるだけで、一発でわかっちゃうよ!

一発っ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


ちなみに、
宮崎県内の文化財を調べるならば、ココ!
みやざきデジタルミュージアム(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

例えば、この日記の鹿児島で紹介した早期の壺形土器は宮崎県でも出土していて、このデジタルミュージアムでも紹介されてるよ!

土器1.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

360度回転するよ!

土器2.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

宮崎県の縄文時代の遺跡といえば、

国指定史跡の宮崎市本野原(もとのばる)遺跡が有名です。

中期後葉から後期後葉の遺跡で、西日本で初めて発見された土木工事(整地)の痕跡をはじめ、100棟を超える掘立柱建物跡など、

西日本最大級の遺跡です。

本野原遺跡については、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

本野原遺跡の詳細な埋蔵文化財発掘調査報告書は、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

ちなみに、

国指定の「史跡」と「特別史跡」の違いや、

文化財全体の中での史跡の位置については、

ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

で、私のおすすめの宮崎県の縄文土器といえば、コレ!
小林市山中遺跡から出土した縄文土器です。

 

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(掲載した写真は、小林市教育委員会のご厚意により、小林市教育委員会2000『山中遺跡−県営経営体育成基盤整備事業に伴う埋蔵文化財調査報告書−』巻頭図版7より転載させていただきました。小林市教育委員会のみなさま、ありがとうございます。)

これらの土器群は、おおむね後期初頭から前半を中心とする時期のものです。

関東地方でいうと、称名寺式土器や堀之内1式土器などとおおむね同じくらいの時期です。

【参考】

↓称名寺式土器(千葉市若葉区加曽利貝塚ー西外縁部ー出土)

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↓堀之内1式土器(千葉市若葉区加曽利南貝塚出土)

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さて、この山中遺跡の土器群、

 

2本1対の平行する線、帯状の2本線で、横方向に意匠を施すものです。
2本の線の間には、刻み(刺突:しとつ)を施すものもあり、この刻みによって、文様(意匠)がより一層ひきたっています。
写真のように、横方向への文様の展開というものは、後期初頭以降、西日本での一貫した伝統になります。その幕開けを示すまとまった資料として、山中遺跡出土土器は、非常に注目されます。

なお、山中遺跡の詳細な埋蔵文化財発掘調査報告書は、
ココ!(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

報告書の「まとめ」では、山中遺跡の後期初頭から後期後葉までの集落(むら)のすがたを、4つの時期に分けて考察しています。

 

 

最後に、小林市(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


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で、わたしのようなおじさんにとっては、斉藤慶子さんの出身地っ!


でも、今回、もっとも私の興味を引いたのは、

令和元年10月2~4日、小林市で開催された、

第1回全国和牛ハイスクールサミットinこばやし(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)
全国から将来の畜産を担う高校生が集まったのですよ。
このときのダイジェスト動画、とても素敵なので、是非ご覧ください。とくに中学生、高校生のみなさん!

 

 

手づくりマスクのご紹介! 2020年5月9日

おととい、私のもとに、「かそりーにゃ」を名乗る縄文女子Aさん(私が勝手に縄文女子Aさんと名付けました)から、手づくりマスクの写真が届きました。

「かそりーにゃ」さんによれば、加曽利貝塚のファンで、縄文まつりに来た時に買った手ぬぐいを使って、自分でマスクをつくったとのことです。

なかなかかわいらしいので、みなさんに紹介します。

みなさんも、あれこれ、挑戦してみましょう!

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ネットで全国縄文土器めぐり 【考古学研究法編】 2020年5月1日

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前回、鹿児島での「他人の空似」をキーワードに、今回は、考古学の研究というものは、どのようなものなのか、少しだけお話ししますね!

 

さて、例えば、遠く離れた地域の縄文土器が、他人の空似ではなく、どこからか「伝わってきた」結果であることを、どのように証明したらいいのでしょうか。
ちなみにこの「伝わってきた」こと、もしくは「伝わっていく」ことを、考古学者は「伝播(でんぱ)」などと呼びます。

 

 

さてさて、
土器のかたちや文様が伝播するということを、どのように証明したらいいのでしょうか。
わかりやすく、しかし、ちょっと長めに説明しましょう。

 

「赤いシャツのヒト」を例に説明しましょう!

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4月 東京都で「赤いシャツのヒト」が目撃された
5月 神奈川県で「赤いシャツのヒト」が目撃された
6月 静岡県で「赤いシャツのヒト」が目撃された
7月 愛知県で「赤いシャツのヒト」が目撃された
8月 岐阜県で「赤いシャツのヒト」が目撃された
9月 滋賀県で「赤いシャツのヒト」が目撃された
10月 京都府で「赤いシャツのヒト」が目撃された
11月 大阪府で「赤いシャツのヒト」が目撃された

 

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この状況から、「赤いシャツのヒト」が東京都から大阪府まで、少しずつ移動していった可能性が考えられます。

 

しかし、4月の東京都で見かけた赤いシャツのヒトと、11月の大阪府で見かけた赤いシャツのヒトが、同一人物であるのか、他人の空似なのか、証拠がないから、まったくわかりませんよね。

で、次、

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4月 東京都の「赤いシャツのヒト」のシャツは、アイロンの折り目がきちんとついていた。

5月 神奈川県で「赤いシャツのヒト」のシャツは、アイロンの折り目がわずかに残っていた。

6月 静岡県で「赤いシャツのヒト」のシャツの襟(えり)に汚れ(よごれ)がついていた。

7月 愛知県で「赤いシャツのヒト」の襟と裾(すそ)に汚れがついていた。

8月 岐阜県で「赤いシャツのヒト」のシャツの襟と裾がとても汚れていた。

9月 滋賀県で「赤いシャツのヒト」のシャツのとても汚れた襟が少し破れていた。

10月 京都府で「赤いシャツのヒト」のシャツのとても汚れた襟と裾が少し破れていた

11月 大阪府で「赤いシャツのヒト」のシャツのとても汚れた襟と裾におおきな穴があいていた。

 

となれば、「おっ、赤いシャツがだんだん汚れていっている」、「おっ、もしかして、赤いシャツのヒトが、東京から大阪に、少しずつ移動したのかも」と思いますよね。

 

 

でも、まだまだ・・・

 

 

で、次、このどんどん汚れて古くなっていくように見える赤いシャツ、それぞれの場所での赤いシャツの、さらなる汚れに注目してみましょう!

 

 

(4月 東京都の「赤いシャツのヒト」のシャツは、アイロンの折り目がきちんとついていた。)

5月 神奈川県 赤いシャツに、東京(江戸)銘菓「雷おこし」のちいさな欠片(かけら)がついていた。(この人は東京都から来た可能性あり)

6月 静岡県 雷おこしがついた赤いシャツに、某社のシウマイの醤油がついていた。(この人は神奈川県より東から来た可能性あり)

7月 愛知県 雷おこしと醤油がついた赤いシャツから、ウナギのかば焼きのいい香りがした。(この人は静岡県より東から来た可能性あり)

8月 岐阜県 雷おこしと醤油がついて、ウナギのかば焼きの香りがする赤いシャツに、味噌カツのタレがついていた。(この人は愛知県より東から来た可能性あり)

9月 滋賀県 雷おこしと醤油とタレがついて、かば焼きの香りがする赤いシャツから、朴葉味噌(ほおばみそ)の香りがした。(この人は岐阜県より東から来た可能性あり)

10月 京都府 雷おこしと醤油と味噌がついて、かば焼きと朴葉味噌の香りがする赤いシャツから、鮒(ふな)ずしの香りがした。(この人は滋賀県より東から来た可能性あり)

11月 大阪府 雷おこしと醤油と味噌がついて、かば焼きと朴葉味噌と鮒ずしの香りがする赤いシャツから、しば漬けの香りがした。(この人は京都府より東から来た可能性あり)kaminariokoshi

 

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と、これくらいの証拠がそろえば、赤いシャツのヒトが東京から大阪まで移動してきたと説明できるのではないでしょうか。

 

「目撃された時間」・「シャツの汚れの進み具合」・「各地の特徴的な付着物(ふちゃくぶつ)」、これくらいの3つの状況が重なれば、東京から大阪までの移動や、同じ人物である可能性が高いことを説明できるのではないでしょうか。


考古学の世界でいえば、「伝わった」「伝播した」と説明できるような気がします。

考古学者は日夜、こんな証拠集めを、せっせと、しています。
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この証拠集めの方法のひとつに、考古学の世界で「型式学(けいしきがく)」などと呼ばれているものがあります。
型式学(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

しかし、最近では、「4月に東京都で赤いシャツのヒトを見かけた」という目撃談と、「11月に大阪府で赤いシャツのヒトを見かけた」という目撃談の、ふたつの目撃談しかないのに、ふたりは他人の空似かもしれないのに、あたかもふたりが同一人物であるとの前提にたって、その間の、時間やら場所やらエピソードを、あたかも見てきたように想像して話す研究者が多いのです・・・

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ネットで全国縄文土器めぐり【鹿児島県】 2020年4月30日

他人の空似 たにんのそらに

 

さて、ネットで全国縄文土器めぐり、

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今日から九州、

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九州の第一弾は、鹿児島県、

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まずは前回に示した予習、もう一度、ふりかえっておきましょう!

予習(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さて、鹿児島県など九州南部からは珍しい形の縄文土器が発見されています。
文様に由来する名前は「貝殻文(かいがらもん)系土器」で、
形に由来する名前は「円筒(えんとう)土器」・「角筒(かくとう)土器」「レモン形土器」などです。

 

この、形に由来する名前とは、土器を上から見ると、
※土器の口(口縁 こうえん)のかたちが円形
※土器の口縁のかたちが四角でかどばっている
※土器の口縁のたかたちがレモンのような楕円形(だえんけい)で、
筒のようなかたちをしているからです。

イメージとしては、

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で、こんな感じ!

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これらの土器は、鹿児島県霧島(きりしま)市の国指定史跡である上野原(うえのはら)遺跡での出土例が有名です。

 

上野原遺跡出土土器(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


縄文時代早期に位置づけられています。

ちなみに、上野原遺跡では、これらの土器以外にも、早期の壺形(つぼがた)土器が有名です。

上野原遺跡出土壺形土器(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

壺形土器といえば弥生時代や、東北地方の縄文時代後期以降のイメージなのですが、九州で縄文時代早期の見事な壺のかたちは、発見当時、インパクトがある話題でした。

 

で、南九州の早期の円筒土器にそっくりの土器が、東北地方北部から北海道南西部で見つかります。

 

 

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縄文時代前期 伝青森県八戸市是川出土

出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


これらは、「円筒下層式土器」や「円筒上層式土器」と呼ばれる土器です。

 

円筒下層式土器(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

円筒上層式土器(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)


確かに似ていますよね。

 

日本列島の両端で、同じようなかたちの土器が流行するって、大陸から日本列島両端に伝わってきたような感じがして、何か夢のある話のような気もするのですが・・・
でも、残念ながら、列島北部の円筒下層式土器は前期、円筒上層式土器は中期です。
一方の南九州の例は早期ですから、両者の時期は全く異なるのです。
つまりは「他人の空似(たにんのそらに)」、偶然なのです。

 

ちなみに、鹿児島県の文化財の名品ここで!
かごしまデジタルミュージアム(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

【追伸】
私にとっての鹿児島といえば、さつま揚げ、かるかん、ボンタンアメ、きびなご、灰汁巻き(あくまき)、春羹(しゅんかん)、天文館通、磯庭園、城山、山形屋、西鹿児島駅・・・
前回の沖縄、私が足を運んだことがある場所は、南風原町、読谷村、沖縄市、嘉手納町、那覇市、糸満市、本部町・・・

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【本格始動にむけて】 2020年4月23日

ところかわればしなかわる

ネットで全国縄文土器めぐり【沖縄県】、いかがでしたでしょうか?
あんな感じで、全国の縄文土器を巡っていきたいと思います。
次回は九州に上陸してみようと考えています。

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で、その前に、簡単なトレーニングをやってみましょう。

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みなさん、「所変われば品変わる」(ところかわればしなかわる)って、聞いたことありますよね。
土地・地域が変わると、習慣・言葉・食べ物なども変わるということです。
ひと言でいえば「地域性」とでも表現できます。
で、縄文土器にも地域性があるのです。

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沖縄には沖縄の土器があり、東北には東北の土器があるからこそ、考古学者は、沖縄に来た東北の土器がわかるのですよ。

さて、地域性について、感覚をつかんでいきましょう!
みなさん、頭のなかで、日本地図を思い描いてみましょう!

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で、大手検索サイトで画像の検索をしてみましょう。

 

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入力するキーワードは「日本 地域性 地図」です。

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ほら、いろんな日本地図がでてきましたよね。
なるほどぉ~、って思いませんか?
地域性のイメージですよ。

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で、興味がてら、さらにキーワードを追加してみましょう。

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例えば、

日本 地域性 地図」+カップうどんの商品名
日本 地域性 地図」+ハンバーガー、ファストフードのチェーン店名
日本 地域性 地図」+薄切りにしたジャガイモの揚げ物の商品名

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とかを入力し、スクロールし、日本地図を探してみましょう!

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ちょっと、面白いでしょ?
さらにさらに、


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日本 地域性 地図」+、
カレーの肉」とか、「肉まん」とか、「回転焼(かいてんやき)」とか、「絆創膏(ばんそうこう)」とか、「ズック」とか、「方言」とか、「あさって」とか、思い浮かぶワードを入力して、日本地図を探してみましょう!

 

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すごいでしょう?いろいろな地域性があることに驚きませんか?

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で、ここで、ちょっとばっか、お勉強っぽい情報も見てくださいね。

 

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お雑煮(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

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味噌(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

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だし(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

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さぁ、地域性のイメージはつかめましたよね?
こんな感覚で、日本全国縄文土器めぐり、ご一緒にいかがですか?

 

【予習】
全国の縄文土器の情報、とりわけ写真を見たいと思ったら、

 

0423onlinelogo(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

でいろいろと検索すると、おもしろいよ!

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さて、次回、鹿児島県、

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予習(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)を見といてね。

 

 

 

ネットで全国縄文土器めぐり【沖縄県】 2020年4月21日

ご自宅の児童・生徒のみなさん、毎日、どんな感じでしょうか?

今日から、全国各地の縄文土器の話題を提供します。みなさん、この日記をきっかけにして、いろいろと調べてみましょう。

きっと、あらたな発見がありますよ!

 

さて、日本列島は、北の北海道から南の沖縄県まで、その距離は3,000kmをこえます。

 

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各地に方言があり、食べ物や習慣にさまざまな違いがあるように、縄文土器の顔つきも、各地方で異なります。

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この日記のなかで、みなさんが気になったキーワードを、ネット上で、あれこれ調べてみましょうね。
記念すべき第1回は、列島最南端の沖縄県です。 

さぁ、ネット上で、日本全国の縄文土器めぐり!。

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沖縄県中頭(なかがみ)郡北谷(ちゃたん)町で、東北地方の縄文土器が発見されています。

北谷町は南西諸島の沖縄本島中部に位置します。

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北谷町の平安山原(はんざんばる)B遺跡から、約2,500年前、縄文時代晩期の、亀ヶ岡(かめがおか)式土器が発見されています。

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平安山原B遺跡出土大洞系土器

「沖縄県中頭郡北谷町教育委員会提供」

 

平安山原B遺跡(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

北谷町からのニュース1.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

北谷町からのニュース2.(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

みなさんよくご存じの遮光器(しゃこうき)土偶などは、この時期のものです。

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青森県つがる市木造(きづくり)亀ヶ岡出土

出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(外部サイトへリンク)

亀ヶ岡式土器とは縄文時代晩期、東北地方の土器の総称で、その名前は青森県つがる市亀ヶ岡遺跡出土土器に由来します。
このあたりの考え方は、この日記の記念すべき初回、縄文土器の魅力1 をご覧ください。
さて、この亀ヶ岡式土器は、岩手県大船渡(おおふなと)市大洞(おおぼら)貝塚出土土器の研究から、古い方から新しい方に、例えば、
※大洞B1式→大洞B2式→大洞B-C1式→大洞B-C2式→大洞C1式→大洞C2式→大洞A1式→大洞A2式→大洞A´(ダッシュ)式
というような変化します。

【参考】大洞式土器の変化(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

さて、沖縄で発見された東北の土器について、
※A:東北でつくった土器が、沖縄に持ち運ばれた
※B:東北の土器をまねして、沖縄で作った
という可能性がありますよね。
この区別を知るには、土器を作るための粘土に含まれる鉱物の産地を調べることになります。
考古学の世界ではこれを「胎土(たいど)分析」と呼びます。
「この鉱物は沖縄地方にはない」とか、「この鉱物は東北地方にしかない」とか・・・
でも、東北から沖縄に、粘土や鉱物が持ち運ばれたりしていたら、ちょっとややこしいですよね。

さらに、
このBの場合、
※a:沖縄地方で、沖縄に住んでいる人がつくった
※b:沖縄で、東北から来た人がつくった
という疑問もわきますよね。
この区別は、土器に文様を施す順番などが、本家本元(ほんけほんもと)の東北地方と同じなのかなど、土器のつくり方の細かな観察が必要になりますよね。
このあたりの土器の見方についてはこの日記の 縄文土器の魅力10  が参考になります。

ともあれ、現段階でのこの土器に関する研究者の見解は、以下のようなものです。
※「大洞A1式にきわめて近似した特徴や胎土などからすると、沖縄でつくられたものではなく、どこからか搬入(搬入)されたものとみてよい」
※「どこかからか搬入されたもの」であるが「一つの候補は東北地方中部地域であるが、胎土分析の結果、それも否定された」
※「この土器に鹿児島県域の鬼界(きかい)カルデラの噴火に伴って降下したアカホヤが含まれており、西日本のどこかでつくられたと推定」

引用

山城安生・設楽博己 2018「北谷町平安山原B遺跡出土の大洞系土器」『古代文化』第69巻第4号 公益財団法人古代学協会

 

追記

沖縄県の歴史をもっと知りたい方は、沖縄県教育庁埋蔵文化財センターがつくった「沖縄歴史絵年表」「沖縄歴史年表」をご覧ください。

沖縄歴史絵年表・沖縄歴史年表(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 

つづく


 

ラオス 番外編【追加004】 2020年4月11日

ラオスであわや・・・

 

ラオスで飛行機、プロペラ機に乗った時のこと、

 

 

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離陸直後、
機内に煙が立ち込めました。

 

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みるみるうちに煙は機内に充満し、機内は真っ白!

 

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落っこちるかと思いました。

 

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原因は、古い飛行機だったので、外の蒸気が機内に入り込んだとか・・・
本当に怖かったんですよ!


番外編【追加】おわり

 

 

ラオス 番外編【追加003】 2020年4月10日

ラオスの土器の線刻

古代の日本、遺跡から出土する土器に、たまに、変なサイン(線刻 せんこく)がついてます。

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 土器の底に×印(千葉市緑区荻生道(おぎゅうみち)遺跡出土例)

 

このような線刻について、考古学者は、土器づくりの職人が刻んだサインだろう、などとも考えています。
で、ラオスでも、同じような線刻を見かけました。

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(上下さかさまに置いた土器のふちに×印)

 

現地の人に「このサインは何ですか?」とたずねたところ、意外な答えが返ってきました。
※土器づくりの途中、土器を乾燥している段階で、
※この土器を欲しいと思っているご近所さんが、
※予約のために、自分専用のサインを刻んでいく
ということでした。

私が見てきたラオスの土器の線刻、「職人のサイン」ではなく「客のサイン」だったのです。
意外でした。

 

つづく

 

 

ラオス 番外編【追加002】 2020年4月9日

ラオスの瓦づくり


古代の日本では、役所やお寺の屋根に使う瓦づくりが、全国各地で行われていました。


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瓦づくりの遺跡を発掘すると、広い建物の跡が発見される場合があり、
これを、考古学者は、たくさんの職人たちが瓦をつくった場所である、などと考えています。

でも、ラオスの瓦づくり、

 

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私がラオスで見てきた広い建物は、瓦を乾燥させるための広い場所で、
職人さんはひとりかふたりでした・・・

つづく

 

ラオス 番外編【追加001】 2020年4月8日

ラオスの製鉄


千葉県といえば京葉工業地帯、そのなかでも製鉄工場は有名ですよね。

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大量の鉄製品づくりのために、工場内では、大規模な製鉄が行われています。

 lao0408st002

で、ラオスのむらでの製鉄工場といえば、

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こんな感じです。
つづく

 

河姆渡(かぼと)遺跡 2020年4月3日

ラオスの建物や、台湾の建物の紹介につづき、今回は遺跡から発見された建物跡の紹介です。

中華人民共和国の浙江(せっこう)省にある、紀元前5,000年前頃から形成された遺跡です。
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(浙江省は、左腕の付け根、太平洋に面したあたりです)

紀元前5,000年前といえば、日本列島、本州の縄文時代でいうと、おおむね前期前半ころでしょうかね。
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河姆渡遺跡は稲作の起源を考えるうえで重要な遺跡で、高床式住居の痕跡が発見され、復元されています。湿気の多い低地の遺跡なので、木材が良く残っていたみたいです。

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博物館

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発掘された遺跡

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 復元された建物

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 終わり

通信講座 番外編 ラオスの音 2020年4月1日

怒涛のような通信講座を終え、補習も終えたところで、趣を変えた番外編を追加します。

題して、ラオスの音!

私がラオスで聞いてきた、いくつかの音をお伝えしましょう!
現地の映像とともにお楽しみください!

 

【その1】

北部山岳地帯の村へ通じる山道(獣道 けものみち)で、変な音が鳴り続けていました。
UFO(未確認飛行物体=空飛ぶ円盤)が飛んでいるような音でした。
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虫の鳴き声か、鳥の鳴き声か、動物の鳴き声か・・・。

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草むらに入り込んで、確認したかったのですが、危険な蚊や蛇がいるかもしれないので、やめました。
おそらく虫、セミの鳴き声なのか・・・
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みなさん、聞いてみてください。

 

 

【その2】

北部山岳地帯の村で、家の中から、鈴の音と、男性?の声が聞こえてきました。
通訳に確認すると、「おまじない」もしくは「お祈り」をしているとのこと。
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家の中をのぞきこんで、見たかったのですが、ちょっと怖くて・・・

 

みなさん、聞いてみてください。

 

【その3】

村では家畜としてニワトリを飼っています。
ニワトリの鳴き声といえば、「こけこっこぉ~・・・」ですよね!
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でも、現地ラオスのニワトリ、語尾をのばさないのですよ。

コケコッコっ!

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 みなさん、聞いてみてください。

 

みなさん、
通信講座 土器づくりの世界 ラオス編
補 習 ラオスの建物
番 外 編 ラオスの音
いかがでしたか?

台湾 少数民族の住居 後編 2020年3月31日

少数民族・先住民族の建物に興味を持った児童や生徒のみなさんにむけ、
台湾本島の屋外博物館(九族文化村)で私が見てきた、
台湾の少数民族の建物の写真をたくさんお見せしましょう。
いろいろな建物があることに驚かされますよ。

興味を持ったみなさん、いろいろと調べてみましょう!

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いかがでしたか?


台湾 少数民族の住居 前編 2020年3月29日

ラオス編では建物を紹介しましたよね。
もしかすると、
少数民族・先住民族の建物に興味を持った児童や生徒のみなさんがいるのでは?
と、ほのかな期待を胸に、私が見てきた台湾の少数民族の建物などを紹介します。
前編と後編の、2回連続です!

みなさん、「蘭嶼」(らんしょ)という地名を聞いたことがありますか?
みなさんよくご存じの台湾、その南東沖にある絶海の孤島の名前です。

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台湾にはいくつかの少数民族が確認されていますが、
私はこの蘭嶼の少数民族(ヤミ族)の調査に行きました。
1990年代半ばのことです。

今回は、ここで見てきた、この島の住居を紹介します。

最初にお見せする写真は、わかりやすい例として、
台湾本島の屋外博物館で復元展示しているものです。

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地面に四角く深い穴を掘って、穴の壁や縁(ふち・へり)に石を敷き詰めます。
その穴の中に住居をつくり、上に屋根をかけるものです。
半地下式住居というか地下式住居いうか・・・

英語による展示解説パネルには、

※ヤミ族の社会では、家を建てるのに十分な資材を集めるには2年ほどかかる。
※そこで、新婚夫婦は子供が生まれるまで産屋に住む。
※子供が生まれるまでには、彼らはある程度の社会的地位を得ていて、自分たちの家を建てられるようになる。

みたいなことが書いてありました。

それでは、実際に現地で見てきた蘭嶼の住居の写真です。

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こんな感じです。

ちなみに、住まなくなった家の跡、崩れかけた大きな穴は、当然のように、ゴミ捨て場になってました。

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縄文時代も住まなくなった廃屋の竪穴に、ゴミを捨てたのでしょうか???

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このほか、現地では、「チヌリクラン」と呼ばれる小型の舟が砂浜に置いてありました。主な獲物はトビウオだということです。この「チヌリクラン」、ネットで検索すると面白い動画を見ることができます。

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後編につづく

 

博物館での仕事をめざす諸君へ! 後編 2020年3月28日

本日のタイトルは、
展示案をつくってみよう!

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前回の桃太郎の展示構成、覚えていますか?

さて、
「大テーマ」
→「中テーマ」
→→「小テーマ」
がきまったら、

桃太郎の展示構成でいえば、
A・B・C・Dの4つの「大テーマ」、
→1・2などの計8つの「中テーマ」、
→→1. ・2.などの計22の「小テーマ」、
それに、「はじめに」・「おわりに」を加えた、
計36枚の解説パネルの文章を執筆します。
1枚につき200文字くらいが目安でしょうか・・・

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例えば、「はじめに」の解説パネルでは、
「西暦0000年頃、現在の00県00市00町に、非常のなかの良い夫婦が住んでいました・・・」みたいな・・・

そして、次、
いよいよ、
「どんな実物資料を展示しようか?」

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「どんな図・写真・表などで解説しようか?」

 

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を考えてみます。

今回の桃太郎の展示構成に、
展示資料や解説の図表などの案を加えてみたのが、
これです!
あくまでも空想ですけれどね・・・

Pdf 002(PDF:429KB)

こんな感じで、展示が完成に向けて動き出していくのです。
おもしろいでしょう?

同時に、展示場のスペースのなかに、
どのように展示構成をはめていくのかを考えなければなりません。

ここでは、空想の展示である「桃太郎」をはなれて、
現実の博物館の展示場の構成を紹介してみます。

福岡市博物館の常設展示、ここの展示構成の図が非常にわかりやすいです。

http://museum.city.fukuoka.jp/exhibition/jyosetsu.html

博物館での仕事をめざす諸君!
自分で伝えたい物語をつくり、
→展示資料や解説文、展示資料、解説図写真などを考え、
→→展示場でのレイアウトに思いを巡らせ、
→→→自分だけの仮想博物館づくりにチャレンジしてみよう!


博物館での仕事をめざす諸君へ! 中編 2020年3月27日

本日のタイトルは、桃太郎!

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博物館の展示とは、
ただ単に、実物を並べて、
その解説のために、文章や写真や図表があるわけではありません。

博物館の展示には、
博物館が伝えたい物語があるのです。
学芸員が伝えたい物語があるのです。

物語といえば「本」

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「本」といえば「目次」

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ですよね。

で、本は、物語全体の構成を示す、
「章」
→「節」
→→「項」
のような構成になっていますよね。
これに「はじめに」や「おわりに」が加わります。

そうなんです。

「博物館」という「本」にも、
「目次」があるのです。

博物館という「本」の「目次」とは、
一般的に、

「大テーマ」
→「中テーマ」
→→「小テーマ」

などと呼ばれたりします。

さてここでは、
みなさんよくご存じの「桃太郎」を例に、
はなしを進めていきましょう。

まずは、おさらい!
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と、こんな感じでしょうか?

この物語を、
先ほど述べた、

「大テーマ」
→「中テーマ」
→→「小テーマ」

に再編成してみると、
こんな感じになるのではないでしょうか?

 

展示構成(PDF:225KB)

 

つづく

 

 

博物館での仕事をめざす諸君へ! 前編 2020年3月26日

本日のタイトルは、「氷山の一角」

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海面に見えるとがった氷、
海の中をのぞいてみれば、
大きな大きな氷の山の頂上に過ぎないのです。

 

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こんな感じです。

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みなさんの目に見えているのは、大きな大きな山のほんの一部、
頂上部分に過ぎないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

で、ここで、博物館の話をしますね!

博物館には、たくさんの「実物」「情報」があります。
この実物や情報を博物館の「資源」と考えましょう。

わたしたち、博物館の学芸員は、
この「資源」を徹底的に「研究」しています。
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そして、その「研究の成果」を、「展示」というかたちで、
みなさまにお見せしています。

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同時に、たくさんの「実物」のなかから、
みなさんに多くの情報を伝えることのできる「実物」を選び出して、
「展示」しています。
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ですから、『展示』とは、
学芸員にとって、
博物館にとって、
『氷山の一角』なのです。

〇たくさんの研究の積み重ねの頂点の部分、
成果の部分をみなさんにお見せしています。

〇たくさんの実物のなかから、説得力のある、わかりやすい実物に、
解説を加えて、みなさんにお見せしています。

ということで、こんな感じになりましょうか・・・。

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以上、「博物館での仕事をめざす諸君へ!」前編 でした。

つづく 

 

通信講座 補習 ラオスの建物 2020年3月19日

怒涛のような通信講座を終え、各方面からの絶賛及び補習の要望が絶えません(笑)!

ということで、補習っ!

さてさて、
縄文時代の建物の跡といえば、竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)!
地面を掘った直径数メートルの穴に柱を立てて屋根をかぶせたものです。

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加曽利貝塚の竪穴住居跡

この竪穴住居跡とは異なり、縄文時代に、地面にいきなり柱の穴を掘ったと考えられる建物の跡が、相次いで発見されるようになりました。

掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)と呼ばれるものです。


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上のイラストのような床を高くした高床式建物跡(たかゆかしきたてものあと)と、床を高くせず、地面の高さが床であった平地式建物跡(へいちしきたてものあと)の2種類があると考えられます。

高床式であれ平地式であれ、遺跡の発掘調査では、ただの柱の穴が並んで発見されるだけなのです。

ここでは、この「ただの柱の穴が並んで発見される」例を示します。市原市の武士(武)遺跡の例です。以下の紹介文の「第1図」をご覧ください。縄文時代後期の例です。
白い線を引いた穴が、並んだ穴です。

穴の直径・深さ・断面のかたちが共通するものや、規則性がある穴です。

http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_025_1.pdf(外部サイトへリンク)

この掘立柱建物跡、弥生時代では静岡県の登呂(とろ)遺跡、佐賀県の吉野ケ里(よしのがり)遺跡などでの復元例が有名ですが、実際にどんな建物であったのかはよくわかってはいないのです。

が、私、ラオスの北部山岳地帯で、見てしまったんです!

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※音声データは除去してます

以上、補習でした!

 

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【追伸】
ここで取り上げたラオス北部山岳地帯の掘立柱建物跡については、
加納 実 2003「ラオス北部山岳地帯の高床式建物」『縄文時代』14『縄文時代文化研究会』
に掲載しています。

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 007 2020年3月17日

ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけて、短期決戦の「通信講座」を開催してきました。

いよいよ今回、最終回です!感動のフィナーレ、になるはず・・・

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感動の最終回は、土器づくりの、大盤振る舞い!

※音声データは除去してます

 

休館中、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々限定の、短期決戦の「通信講座」でした。いかがでしたか?

 

 

【追伸】
受講終了証は発行しないからね!

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通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 006 2020年3月14日

前回と前々回と前々々回と前々々々回と前々々々々回に引き続き、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけての、短期決戦の「通信講座」です。

さてさて、
みなさん、縄文土器に限らず、弥生土器でも須恵器でも、どのように文様をつけたのかって、
あまりよくわかっていないのですよ。
まぁ、縄文土器は、縄文や竹や貝殻や、さまざまな素材があったことは確認できるのですが、実際はどんな感じだったのか、興味は尽きないですよね!

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ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

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※音声データは除去してます

つづく

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 005 2020年3月12日

前回と前々回と前々々回と前々々々回に引き続き、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけての、短期決戦の「通信講座」です。

さてさて、
みなさん、この短期決戦の通信講座002で、ロクロ・ろくろ・轆轤の話をしましたよね!
おそらく弥生時代以降、土器づくりの際には、ロクロのような土器を置く回転する台があったのではないかと想像するのですが、あまりよくわかっていないのですよ。
どんな感じだったのか、興味は尽きないですよね!

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ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

 

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※音声データは除去してます

 

つづく

 

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 004 2020年3月10日

前回と前々回と前々々回に引き続き、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけての、短期決戦の「通信講座」です。

さてさて、
みなさん、縄文時代、一軒の家にどれくらいの縄文土器があったのかって、想像できますか? 鉢・皿・碗・壺・深鉢・土瓶・浅鉢・・・・・・・
遺跡を発掘調査した時に出土する土器は、壊れたものや捨てたものが大半で、使っていた当時そのままの様子って、あまりよくわかっていないのですよ。
どんな感じだったのか、興味は尽きないですよね!

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ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

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※音声データは除去してます

つづく

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 003 2020年3月8日

前回と前々回に引き続き、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけての、短期決戦の「通信講座」です。

さてさて、
みなさん、縄文土器を焼いていた場所の跡って、想像できますか?
じつは、縄文土器を焼いた跡って、明確には残っていないのですよ。
どんな感じだったのか、興味は尽きないですよね!


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ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

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※音声データは除去してます

つづく
 

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 002 2020年3月6日

前回に引き続き、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々にむけての、短期決戦の「通信講座」です。

さてさて、
みなさん、「ロクロ」・「ろくろ」って、ご存じですよね?漢字では「轆轤」!
陶芸家の方々が茶碗などをつくるときに、粘土を置く台のこと。台はくるくる回りながら、指先で粘土を器のかたちにしていくやつ、ご存じですよね?

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当たり前ですけど、ヒトは動かず、土器がくるくる回るのです。当たり前ですよね?人が回るはずはないですよね?

ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

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※音声データは除去してます

つづく

 

通信講座 土器づくりの世界 ラオス編 001 2020年3月3日

今日から休館日です。

休館だというのに、当館展示中の土器などをネタに日記を綴るのは、なんか、せつないので、ご自宅で当館への熱い想いを募らせている方々、とくに小・中学生や高校生のみなさんにむけて、短期決戦の「通信講座」を開催します。

みなさん、ラオスという国をご存じですか?東南アジア、インドシナ半島の中央に位置する国です。カンボジア・タイ・中国・ベトナム・ミャンマーに囲まれた、海のない内陸の国です。ちょっと調べてみよっか。

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私、2000年代前半に、幾度となくラオスに足を運びました。主に集落や集落を構成する建物の調査のためです。

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写真のような、北部の山岳地帯の集落がフィールドだったのですが、目指す集落への往路や復路で、さまざまな光景を目にしてきました。

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さてさて、
土器づくり、とくに縄文時代の土器づくりにおいて、みなさんは「輪積み(わづみ)」という用語を聞いたことがありますか?

土器をつくるときに、最初に、粘土で紐をつくり、その紐を輪のように積み上げて(巻き上げて)、器のかたちをつくっていくのです。

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ところが、私、ラオスで、見てしまったんです!

※音声データは除去してます

つづく

【プチ講座】縄文土器の魅力10  2020年2月22日 

新型コロナウィルス感染症の感染予防・拡散防止に鑑み、2月23日(日曜日)開催予定であった「縄文時代研究講座」につきまして、中止とさせていただきます。

講座を楽しみにしていただいた皆さん、土器が大好きな皆さんのために、私がささやかながらその穴埋めをすべく、HP上で、プチ講座を開催いたします。

プチとはいえ、講座です!中・上級者編です!で、長編になります・・・・

さてさて、
いよいよ、いよいよ、いよいよ、3月1日(日曜日)17時をもって、加曽利のヒト Yさんによる渾身の企画展示が終了します。
念のため、念のため、念のためお尋ねしますが、足を運んでいただきましたよね。
まさか、ということはないですよね・・・

当館玄関を入るとすぐ右手に「土器ドキ縄文ラボ」という部屋があります。過日の小規模改善以降、この部屋を毎日開放しています。

さて、この部屋のつきあたりの左側に、縄文土器の文様を解説している模型があります。

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右撚りと左撚りの縄を横にころがすと、こんな感じになります。

で、縦にころがすと、只今、絶賛開催中の、当館企画展の展示の土器のようになります。

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私がここでお伝えしたいのは、同じ方向に縄をころがすと、「縄の文様は同じような向きになりますよ」ということです。

ですが、只今、絶賛開催中の、当館企画展の展示の土器などをよくご覧ください。
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(この土器は常設展示)

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隆帯(粘土紐)による渦巻き文様の内側の縄文は、あちこち、いろいろな方向を向いていることがわかりますよね。

さらに、隆帯の上に、縄文が施されている例もあります。

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これはどういうことかというと・・・・・

縄を色々な方向にころがしたということです。
粘土紐で文様を描いた後に、その文様の内側に縄をころがしたということです。

もうすこし細かな説明をしますね。
ここでは粘土紐の例ではなく、沈線(棒による線)による例を示します。
沈線で渦巻き文を描いた後に、この文様のなかに、縄を、2から5の順に施していくと、
縄文が、あちこち、いろいろな方向を向いてしまうことがよくわかります。
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ということで、文様を施す順番には、
「文様を描いた後に縄文を施す」ものがあるということです。

で、これとは逆の、
「縄文を施した後に文様を描く」ものはあるのでしょうか???

あるんです!

で、それはどういうことからわかるかというと、

隆帯(粘土紐)が剥がれた痕を観察すると、その下に、縄文が施されているからです・・・。
縄文を施したのちに隆帯を貼り付けたからなのです。
この様子をよく示す土器があります。
下の土器の写真をご覧ください。
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繋遺跡出土土器

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隆帯の下に縄文が・・・

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この土器は、岩手県盛岡市の繋(つなぎ)遺跡出土の土器です。私がとてもとても大好きな土器です。隆帯で美しい渦巻き文を施しています。本当に美しいですよね!
今回、私の考古学日記にこの写真を使いたくて、「盛岡市遺跡の学び館」に相談を差し上げたところ、ご快諾をいただくことができました。本当にありがとうございます。
盛岡市遺跡の学び館 iseki_no_manabi_kan(外部サイトへリンク)
とてもとても勉強になるHPなので、皆さん、ご覧くださいね!

ということで、今回の超絶マニアなお話、
文様を施す順番には、
「文様を描いた後に縄文を施す」ものと、
「縄文を施した後に文様を描く」ものがある、
というものでした。

で、肝心の、このように、文様を施す順番が変わる原因については、・・・・

後日です!

以上、プチ講座でしたっ!

 

縄文土器の魅力9+おしらせ  2020年2月16日

当館で展示中のさまざまな縄文土器は、加曽利貝塚から出土したものばかりです。しかし、例外的に1点だけ、千葉市餅ヶ崎(もちがさき)遺跡から出土した土器を展示しています。縄文時代後期の一番最初の、称名寺式土器(しょうみょうじしきどき 横浜市金沢区称名寺貝塚出土土器を標式)です。

ちなみに、土器の編年で示すと、「加曽利E式土器」→「称名寺式土器」→「堀之内式土器」→「加曽利B式土器」となります(詳細はこの日記、縄文土器の魅力1へ!)。


館長の考古学日記20200216

称名寺式土器

平行する2本の沈線の間に縄文を施し、渦巻きなどの文様を施すのが大きな特徴です。
中期後半の加曽利E式土器の要素を保ちつつも、近畿地方中期終末の影響下で成立した、ちょいと特殊な土器です。

では、なぜ、この土器が当館に展示されているのでしょうか?

その理由、じつはこの称名寺式土器、どこの遺跡でも出土量が少なく、加曽利貝塚からも形がよく残っているものは限られているのです。

ですから、加曽利貝塚以外の遺跡から出土したものですが、この土器を展示させていただいているのです。

ところで、
皆さんよくご存じの千葉市動物公園、今から40年ほど前、その建設予定地が遺跡であったことから、建設に先立ち、発掘調査を実施しました。その遺跡こそ、この餅ヶ崎遺跡なのです。

加曽利貝塚博物館と千葉市動物公園とは不思議なご縁があったのですね・・・
これからは、どんどん、動物公園とコラボしていきたいですね!

ということで、
「動物公園で考古学」と題し、3月20日(金・祝)、13時00分から動物公園で、私と千葉市埋蔵文化財調査センター所長の西野雅人さんのふたりで、講演会を開催することになりました。


詳細は

動物園で考古学~千葉市動物公園は、かつて縄文人の豊かな生活の場だった「餅ヶ崎遺跡」~ ※中止になりました。

お待ちしております。お会いできるのを楽しみにしております。カレンダー・日記・手帳・携帯等々、全部にチェックを入れておいてくださいね。

 

ちなみに、この称名寺式土器の詳細については、後日・・・

つづく

縄文土器の魅力8 2020年2月11日

さてさて、
ここ2回ほど、堀之内式土器のお話をしましたが、今回は、縄文土器の魅力5まででお話しした加曽利E式土器のキャリパー形土器以外の土器について、話を戻します。相も変らぬ想いを貫きます!

加曽利E式土器のキャリパー形土器以外の土器大きく分けて、
曽利式土器(そりしきどき)
連弧文土器(れんこもんどき)
大木式土器(だいぎしきどき)
があります。

今回はこの最終回で、大木式土器!

〇大木式土器


館長日記0211

(佐倉市寺崎一本松遺跡)

宮城県七ヶ浜町(しちがはままち)大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)出土土器を標式とします。
大木式土器は大木1式土器から大木10式土器まであります。1式から6式までは縄文時代前期、7式から10式までは中期の土器です。しかし大木10式土器は中期と後期にまたがっています。
このあたりの話はまた後日!
写真の土器は、大木8式土器もしくは大木9式土器です。粘土のひも(隆線 りゅうせん、隆帯 りゅうたい)により渦巻きの文様を施すことが特徴です。
千葉県や茨城県ではよく出土する土器です。

つづく

【追伸】
只今、絶賛開催中の、当館企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」は、3月1日(日曜日)で閉幕します。まだご覧になっていない方々、終わっちゃいますよ!是非、足を運んでください。

緊急速報! 2020年2月7日

博物館は、ロビーの床を修繕するため、2月4日(火曜日)と5日(水曜日)、臨時休館でした。
ということで、皆さん是非とも、新しい床を見に来てくださいっ!
ではなく、
博物館は連休になることはめったにありません。なので、この2日間を利用して、プチ・リニューアルを行いました。
どのようなプチ・リニューアルなのか、それは来館してからのお楽しみです。広くきれいになった玄関ロビーと、リニューアルした展示を、是非ともご覧いただきたいと思います。
皆さん、是非とも足を運んでください!期待を裏切るようなことはございません!

が、
この日記をご覧のみなさまだけには、ちょこっと、お見せしますね!
ちょこっとだよ!
館長日記0207_1

館長日記0207_2

 

特別臨時増刊号!縄文土器の魅力7 2020年2月2日

さてさて、

前回ご紹介した堀之内式土器についてですが、私は加曽利E式土器の勉強をしていますが、この堀之内式土器の勉強もしています。 

ということで、ここまで懲りずに私の縄文土器の話にお付き合いいただいたみなさんに、遅ればせながら、ささやかなプレゼントです!

というか、

2月3日(月曜日)は、月曜休館日、

2月4日(火曜日)・5日(水曜日)は臨時休館日となっています。 

なので、博物館に足を運ぼうと考えていた皆さんに向けても、お詫びのしるしに、ささやかなプレゼントです。

昨年夏、堀之内1式土器について研究発表した際の発表要旨です。縄文土器の研究とはどのようなものなのか、そのなかで堀之内1式土器というマニアックな個別の土器の研究とはどのようなものなのか、すこしばかり、触れていただければと思います。

プレゼント(PDF:1,946KB)

平易な解説は後日ね!

つづく

 

縄文土器の魅力6 2020年1月28日

皆さん、延々と縄文土器の話が続いています・・・。イヤになりませんか?大丈夫ですか?

加曽利貝塚博物館の館長が、延々と加曽利E式土器について語り続けるのは、ちょっと無粋かな、と、ふと思い、今回は、縄文時代後期の堀之内式土器(ほりのうちしきどき 市川市堀之内貝塚出土土器を標式)について、本館の常設展示で展示中の加曽利貝塚出土土器を見ながら、紹介します(結局、土器のはなし・・・)。


堀之内1式

写真1 堀之内1式土器

堀之内2式

写真2 堀之内2式土器

 

さてさて、
写真の2点は、いずれも、口縁が外側に大きく開き、土器の底(底部 ていぶ)は細くなる形(器形 きけい)です。わたしたちはこの器形を、「バケツ」とか「朝顔」と呼んでいます。
バケツという名前は、まさにバケツのような形をしていることから、朝顔という名前は、朝顔の花の形、付け根が細くて口が広がる形に似ていることから、このような名前がつけられています。
写真1は、堀之内式土器でも古い方の、堀之内1式土器です。土器の表面(器面 きめん)に、数多くの沈線を、縦方向や斜め方向に施すことが特徴です。
写真2は、堀之内式土器でも新しい方の、堀之内2式土器です。平行する2本の沈線の間や外側に縄文を施し、帯(おび)のようなラインで、1式のような縦方向の文様ではなく、横方向の文様を施すことが特徴です。

 

つづく

 

縄文土器の魅力5 2020年1月21日

このHPをご覧のみなさま、19日(日曜日)の縄文時代研究講座、いかがでしたか?あふれんばかりの満員の会場での大内さんの日頃の研究成果の発表、とてもとても興味深く、参考になりました。

次回の縄文時代研究講座は、いよいよ今年度の最終回、
令和2年 2月23日(日曜日)
 「印旛地域の加曽利E式土器」
 講師:小倉 和重 氏 (おぐら かずしげ)
((公財)印旛郡市文化財センター 庶務課長補佐兼調査係長)
10時30分~12時00分
千葉市生涯学習センター地下1階小ホール(中央区弁天3-7-7)

です。
カレンダーに印をつけておいてね!

さてさて、
前回の4.に続き、キャリパー形土器以外の土器、
曽利式土器(そりしきどき)
連弧文土器(れんこもんどき)
大木式土器(だいぎしきどき)

今回は、連弧文土器!

〇連弧文土器

連弧文土器1

 

連弧文土器2
(2点共に四街道市中山遺跡 絶賛展示中!)

土器の文様が、波のように曲がったかたち(弧 こ)が、横方向に連続していることから、この名前がつきました。
遺跡の名前ではなく、文様の特徴で名前がつけられた数少ない土器です。
東京都・神奈川県・埼玉県域で多く出土しますが、千葉県ではそれほど多くはありません。
ちなみに、文様に由来する名前がつけられた土器には、東北地方後期の瘤付土器(こぶつきどき)、長野県方面の中期の唐草文土器(からくさもんどき)などがあります。

つづく

 

縄文土器の魅力4 2020年1月13日

さてさて、
前々回の2.では、加曽利E式土器の種類について、キャリパー形土器を紹介したところです。
で、キャリパー形土器以外の土器については、大きく分けて、
曽利式土器(そりしきどき)
連弧文土器(れんこもんどき)
大木式土器(だいぎしきどき)
があります。

今回は、曽利式土器!


曽利式土器

(印西市松崎6.遺跡 絶賛展示中!)

長野県富士見町の曽利遺跡出土土器を標式とする土器です。
八ヶ岳西南麓・甲府盆地から伊豆半島・西関東まで広く分布しています。千葉県や茨城県ではあまり多くはありません。
粘土のひも(隆線 りゅうせん、隆帯 りゅうたい)により文様を施すものが多いです。写真のように、縦方向に蛇のようにクネクネした文様(蛇行文 だこうもん)や、蚊取り線香のような渦巻文(うずまきもん)など、いろいろな文様があります。

ちなみに、この曽利式土器については、
企画展関連行事 「縄文時代研究講座」 ※中止になりました。
「加曽利E式に伴う非在地系土器-房総半島の曽利式系土器について-」
講師:大内 千年 氏 (おおうち ちとし)(千葉県教育庁教育振興部文化財課 発掘調査班長)
令和2年 1月19日(日曜日)
10時30分~12時00分
千葉市生涯学習センター 地下1階小ホール(中央区弁天3-7-7)

において勉強することができます。
ぜひ、ぜひ、足を運んでください。

つづく

 

【速報】 2020年1月8日

絶賛開催中の、当館企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」、展示替え、終わりました!
本日8日(水曜日)から、新しい土器7点をご覧いただけます!
お待ちしております!

このページをご覧の皆様へ、そっとお知らせします。
新しくご覧いただける土器のまえに、またまた、赤い丸のシールを貼っとくからね!
内緒だよ!

 

縄文土器の魅力3. 2020年1月7日

さてさて、
前回に引き続き、加曽利E式土器の種類を紹介を続ける前に、今回は、ショート・ブレイク、私の加曽利E式土器に関する勉強っぷりを、ちょこっと紹介させてください。

貝塚博物館紀要第21号

に、私の勉強の成果があります。
1994(平成6)年のことです。
今となっては、ちょっとばかりお恥ずかしい内容ですが、ご覧ください。
紙の無駄になるので、印刷は避けた方がいいですよ・・・
この論文の参考文献を見ると、私が最初に加曽利E式土器に関する勉強の成果を示したのは、1989(平成元)年のことです。
30年も前のこと、
歳を重ねてしまいました・・・
「タッキー」といえば「水の江滝子」のこと、そんな世代です・・・
「ジェスチャー」の紅組キャプテン、
観ていました・・・

つづく

 

縄文土器の魅力2 2020年1月1日

新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

さてさて、
只今、絶賛開催中の、当館企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」、みなさん、ご覧になりましたよね?
ちなみに、新年、加曽利貝塚博物館は、1月4日(土曜日)9時00分から開館します。

前回の続き、今回は加曽利E式土器について、ご紹介します。
絶賛開催中の、当館企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」で展示している土器です。

〇キャリパー形土器(きゃりぱーがたどき)
本家本元の、加曽利E式土器です!
土器の年表に記載された「加曽利E」、
この時期の土器を、私たちは正確には「加曽利E式土器」と、「式」をつけています。
加曽利貝塚E地点出土土器を「標式 ひょうしき」(見本)とする、という意味で、「式」をつけます。


加曽利E式土器

四街道市中山遺跡出土 加曽利E式土器(キャリパー形土器)
企画展で展示中!

考古学研究者は、遺跡から出た土器を、写真に撮ったり、実測をして図面を作成します。
実測図をつくるとき、土器の厚さを測らなければなりません。
厚さを測るときに使うハサミのような器具、これを「キャリパー」と呼んでいます。
加曽利E式土器は、土器の下半分のカーブの形が、このキャリパーの形のカーブに似ていることから、私たちの大先輩は、この土器を「キャリパー形土器」という名前をつけました。
キャリパー

 

キャリパー使用

キャリパーと、その使い方

さて、
キャリパー形土器の特徴は、ずばり、
土器の上の端(私たちは、口縁 こうえん と呼びます)には、横長の長方形の文様が施される。
その下の胴体部分(胴部 どうぶ)には、縦方向の線(沈線 ちんせん)が施される。
という、“上は横方向の文様”、“下は縦方向の文様”という特徴です。

が、
加曽利E式の時期の住居跡を発掘すると、そこから出土する土器は、
じつは、この「キャリパー形土器」だけではありません。
えっ・・・・

つづく

【追伸】
絶賛開催中の、当館企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」では、1月8日(水曜日)から展示替えをおこなうため、佐倉市出土の土器10点は、7日(火曜日)までしか見ることができません。
まだ企画展をご覧になっていない皆さま、7日(火曜日)まで展示の土器をご覧いただき、展示替え後に再度、新たに展示する土器7点をご覧いただければと思います。
このページをご覧の皆様へ、そっとお知らせします。
7日までご覧いただける土器の前に、赤い丸のシールを貼っとくからね!
お見逃しなく!
内緒だよ!

シリーズ「縄文土器の魅力」1 2019年12月27日 

年の瀬、考古学のもつさまざまな魅力を皆さんに伝えたくて、この日記をはじめます。
今回は「縄文土器の魅力」として、本館展示の縄文土器の魅力を伝えていこうと思います。
ただし、魅力を知るためには、最初に基礎的なお話をしなければなりません。
みなさん、大掃除の合間、ちょっとだけお付き合いください。

縄文時代研究者は、縄文時代の家やお墓がつくられた時期を示すときに、「何千何百年前」というように数字であらわすことはいたしません。
では、研究者はどのように時期をあらわすのでしょうか。その考え方を示すと、
1、土器の文様の変化をたよりに、土器を古い時期から新しい時期へ、順番に並べる。
2、各時期の文様が描かれた土器が、はじめて出土した遺跡の名前を「時期の代表名」にする。
3、「時期の代表名」を日本全国にならべた「土器の年表」を作成する。
4、年表をたよりに、時期をあらわす。
というものです。
この土器の年表を「編年表:へんねんひょう」もしくは「編年図:へんねんず」と呼びます。
ここでは、1936(昭和12)年に発表された編年表を紹介します。今から約80年も前の表です。

 

編年表

原典:山内清男1936「縄紋土器型式の細別と大別」『先史考古學』第1巻第1號 先史考古學會
引用:株式会社示人舎1997『先史考古学論文集』(二)から

すでに昭和の初めに、縄文時代を古い方から「早期:そうき」「前期:ぜんき」「中期:ちゅうき」「後期:こうき」「晩期:ばんき」に大きく分けて、渡島(おしま 北海道)から九州までの各地方の「土器の年表」がつくられていました。
よくみると、関東の中期には「加曾利E」の名前が、後期には「加曾利B」の名前が記載されていることがわかります。
加曽利貝塚E地点やB地点から出土した土器が「時期の代表名」になっているのです。

ですから、
考古学研究者同士のやりとりは、
Q:この土器はいつ作られたものですか?
A:加曽利Eです。
Q:この住居跡はいつ建てられたものですか?
A:加曽利Bです。
と、こんな感じになります!

よいお年を!

つづく

 

 

 

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教育委員会事務局生涯学習部文化財課加曽利貝塚博物館

千葉市若葉区桜木8丁目33番1号

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ファックス:043-231-4986

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