千葉氏 > 千葉氏関連情報 > 過去の講座・イベント > 公開市民講座「千葉氏と和歌~千葉氏はなぜ歌を詠んだのか~」【千葉市】令和元年6月15日
更新日:2020年5月22日
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本講座では、千葉氏と「和歌」との関わりに焦点を当てます。一般に、武士は武芸にいそしむイメージが強いですが、戦国時代のような争乱の時代においても、武士は教養として和歌を修めました。千葉氏もまた和歌に親しんだ記録が残されています。和歌は武士にとって不可欠なものでした。
本講座では、南北朝時代の当主千葉氏胤の歌が、勅撰集『新千載和歌集』に載せられた背景や、戦国時代の当主千葉勝胤と家臣からなる「千葉歌壇」と彼らの歌を収めた『雲玉和歌抄』の検討等を通じて、千葉氏と和歌との関わりや、その意味等について考えていきます。
令和元年6月15日(土曜日)13時00分~16時00分
千葉県文化会館小ホール
演題:「勅撰歌人となった千葉氏胤」
『古今集』以来、室町時代まで天皇の命令で二十一の勅撰和歌集の編さんが続けられました。『新千載和歌集』は足利尊氏の奏上によって作られた十八番目の勅撰和歌集ですが、多くの武士の歌がみられ、南北朝時代の当主であった千葉氏胤の歌も載せられています。氏胤が勅撰歌人として選ばれたことについて、足利政権との関係のなかで考えていきます。
演題:「『雲玉和歌抄』と千葉歌壇」
永正11年(1514)に成立した『雲玉和歌抄』とは、室町時代の歌人衲叟馴窓が、本佐倉城主である千葉勝胤の求めに応じ編纂した歌集です。勝胤とその家臣が中心となり催された本佐倉城での歌合(うたあわせ)の歌が多く取られています。勝胤と家臣たちがどのような和歌を詠んでいたのか、また武士が和歌を詠む理由とは何かについてお話します。
千葉市立郷土博物館
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