千葉氏 > 千葉氏関連情報 > 過去の講座・イベント > 令和6年度千葉市・千葉大学公開市民講座「千葉氏以前の「ちば」/千葉氏以降の「ちば」ー考古学と近世史の成果からー」
更新日:2024年12月16日
ここから本文です。
「ちば」の地名は『万葉集』の時代に遡りますが、現在の市域とほぼ重なる「千葉郡」は9世紀頃には存在しました。千葉氏が拠点としたため「千葉」と呼ばれるようになったのではなく、桓武平氏の平良文の子孫が「ちば」に定着して「千葉」を名のったのです。
一方、「ちば」を拠点とした千葉氏宗家は享徳の乱で滅び(1455年)、その後も庶流が氏族としての命脈を保つも、後北条氏に従った一族は豊臣秀吉の小田原攻め(1590年)に敗れ、断絶しました。
以上の歴史的背景を踏まえ、今回は千葉氏以前と以後の「ちば」の地を取り上げます。人々が暮らした地理的条件を考古学の成果から考え、失われた一族を敬い続け、この地に暮らした人々の姿を近世史の成果から考えます。「千葉氏」=「ちば」という前提から離れ、その地理的空間の魅力を再発見し、未来へ繋げていきたいと考えています。
本講座の受講にあたっては、事前の電子申請もしくは往復はがきによる申込みが必要です。
令和6年12月14日(土曜日)13時00分~16時15分
千葉大学西千葉キャンパス けやき会館大ホール
中世に千葉氏が拠点とした都川流域、村田川流域は、古墳時代においては、どのような地域だったのでしょうか?古墳時代の遺跡や遺物の分析からは海上や河川、陸路を通じた様々な地域間ネットワークと地域開発の歴史があったことが見えてきます。古墳時代における都川流域、村田川流域においてどのような歴史があったのか、具体的な遺跡や遺物を紹介しながら見ていきます。
近世の千葉町については、千葉氏とともに衰退したと語られてきました。しかし、房総半島と江戸を結ぶ交通の要衝にあたり、妙見寺(現在の千葉神社)の門前町としての一面もありました。
16000軒という中世の伝承ほどではありませんが、江戸地回り経済圏の一翼を担う都市であったと考えられます。今回は「妙見寺文書」を取り上げ、妙見寺の開帳をもとに近世の千葉町の姿を捉えてみたいと思います。
200名
主催:千葉市・千葉大学・千葉市教育委員会
電子申請もしくは往復ハガキでお申し込みください。お申し込みの際にいただいた個人情報は、本講座以外に使用いたしません。
※応募者多数の場合は抽選とさせていただきます。
後日、講演の様子を公開予定です。
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください