更新日:2025年12月21日
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お城の人Nは、今年度の春に着任した学芸員系(考古学)の職員です。
このページでは、博物館内外の様々な出来事を紹介します。また、リニューアルにおいて、4階展示室の「原始・古代」を担当したので、展示資料の紹介も行います。
以後、お見知りおきを。
今日は弱めの雨が断続的に降っていました。気温が19℃近くまで上昇し、12月とは思えない生暖かい南風が吹く日でした。

ハナアブの一種です。
おそらくキゴシハナアブ(黄腰花虻?)。
名前に「アブ」とあるが、いわゆるアブの仲間ではなく、ハエの仲間らしい。
確かによく見るとハエにも見える。
4月から12月の間が活動期らしい。
ウィキペディアによると「ハナアブは変温動物であるため、気温が活動に適した範囲(一般的に10~30℃程度)になると活発になります。成虫は花の蜜や花粉を食べ、幼虫はアブラムシなどを捕食するため、農業においては益虫として知られています。 」とのこと。
見た目に反して、よい虫ではありませんか。

シュウメイギク(秋明菊)です。
名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間らしい。
中国から古い時代に入ってきた帰化植物らしく、日本の園芸書では「秋牡丹」「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」などの多様な別名で呼ばれてきたとのこと。
本来の花色は赤紫色で花弁も牡丹のように多いそうだが、近年は他種との交配品種が市販されるようになり、弁数が少ない品種や白色の品種が多くみられるようになったのだとか。
写真例は、まさに花びら数が少なく白い。つまり交配品種ということなのでしょう。
アネモネと同様にプロトアネモニンを含み有毒で、乳液に触れるとかぶれを引き起こすとのこと。
かわいらしいからといってむやみに摘まないほうがよいということかな。
最初の投稿は、4階の目玉展示品、「木簡片のレプリカ」です。

「下総國千葉郡」と書かれています。
今現在、漢字・単語「千葉」の最古の出土例です。以下、実際の展示に付した解説文。
平成元年(1989)、奈良市の平城京左京二条二坊五坪の二条大路北側側溝出土の木簡で、736年前後の廃棄物です。
漢字「千葉」の最古の例で、奈良時代初頭には「千葉」の地名が知られていたことが分かります。
大治元年(1126)の千葉開府以降、両総平氏の一派が「千葉氏」を名乗るきっかけとなる地名の起源をたどれる貴重な出土品です。
「千葉」の地名が奈良時代の初頭には公的に認知されていた証拠です。けっこうむかしから知られていたんですねえ。
なお、万葉集では、”ちば”の音として「知波」をあてています。万葉仮名の起源が奈良時代以前のどれだけむかしにさかのぼることができるかは定かではありませんが、古墳時代の終わりにあたる飛鳥時代には「知波」は認識されていたのかもしれません。
【補足1】
「下総國千葉郡」木簡
【補足2】
『万葉集』に収録されている「千葉の野の児手柏のほほまれどあやにかなしみ置きて高来ぬ」は、千葉郡の大田部足人(おおたべのたるひと)が詠んだ歌です。
千葉の野の児手柏の花のつぼみのように、初々しくってかわいいけれど、とてもいとおしいので、何もせずに(遠く)ここまでやってきました
歌人:大田部足人(おおたべのたるひと)
歌体:短歌
好きだった娘さんに手も触れずに、防人(さきもり)として旅立ってきた様子を表していると考えられます。
防人歌とは、九州辺境防備のため東国諸国から徴発された防人やその妻たちの歌を指します。
防人歌は、東歌中にも数首見られますが、一般には巻二十所収の八十四首を指します。
万葉集には、さまざまな身分の人の歌が幅広く掲載されていますが、その中には、防人や、その家族の歌が100首近く収録されています。
奈良文化財研究所に保管されている貴重な資料で、レプリカ製作の専門業者さんたちと奈良まで出張して詳細を把握しました。少し苦労した展示品です。
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