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更新日:2024年11月12日
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緑区平川町で伝えられてきた文書群及び近代から現代に至るまでの町の共有文書類を含めた文書群です。
内容は多岐に渡りますが、最も古いものは天正19年(1591年)7月の検地帳です。これは関東移封により近世大名として再出発しつつあった徳川氏が、新たに領国とした両総地域で同年に実施した検地の一環で作成されたものです。これは近世の平川村の出発を示す史料ということになります。
このほかに他村との境界をめぐっての争論関係の文書も残っています。中でも宝永5年(1708年)には平川村南部の「平十文字野」と呼ばれる広大な野の入会権をめぐっての大木戸村・高津戸村との間で争論となり、また、平川村北部では野呂村との間で村境をめぐって争論となっていました。これらはいずれも幕府評定所まで持ち込まれ、幕府の役人が当地を訪れ、検分の結果境界が決められ、裁許絵図が作成されている。彩色されたこの裁許絵図は平川村の成り立ちを知る重要な文書として今日まで伝えられています。なお、平川町内会文書の内、近世の主要なものについては『千葉市史史料編7近世』に翻刻掲載されています。
近代以降については、町内会運営関係の帳簿類の他、消防団、婦人会などの団体関係資料が含まれています。他に青年館関係の資料や共有地の図面などもあります。いずれも平川という地域を知る上でなくてはならない重要な古文書ばかりです。
平川町内会文書は昭和60年郷土博物館に寄託になるまでは町内会長が持ち回りで保管してきました。当時、文書は郷箱に入れられており、毎年土用の丑日前後に行われる虫干し会の度に役員が割印厳封して伝えてきました。町内会長は火事の時、家族や家財より先に郷箱を抱えて逃げることとされており、会長の重責はたいへんなものがあったといわれています。
名称 | 平川町内会文書 |
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めいしょう | ひらかわちょうないかいもんじょ |
指定(指定年度) | 市地域(平成20年) |
区分/種別 | 有形文化財 古文書 |
時代 |
安土桃山 |
所在地 | 中央区亥鼻(千葉市立郷土博物館内) |
所有者 | 平川町内会 |
公開/非公開 | 非公開 |
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