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更新日:2023年4月3日

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史跡・スポット(いずみウォークコース~各町の史跡をめぐり歴史を知る~)

史跡・スポットの紹介

解説は、一部内容を抜粋して記載しています。詳しい解説はこちらからご覧ください(PDF:378KB)(別ウインドウで開く)

出典・参考:「さらしな風土記」(更科郷土史研究会編)

 【スタート・ゴール】下田農業ふれあい館(若葉区下田町971)

出発

下田農業ふれあい館1

到着

スタート・ゴール地点となる「下田農業ふれあい館」。新鮮野菜の直売所とレストランを併設した公の施設です。こちらでお弁当や飲み物の調達をして出発するのもおすすめです。

  • 営業時間 9時から17時(火曜~日曜※月曜休業、月曜祝日の場合は翌日休)
  • 屋外・館内トイレ有
  • 屋外ベンチ有
  • 駐車場有

下田農業ふれあい館公式HP(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

下田農業ふれあい館までのアクセス

【バスをご利用の方】
  • JR千葉駅または、千葉モノレール千城台駅から京成バス「御成台車庫」行で終点下車、徒歩5分

  • 千葉モノレール千城台駅から、さらしなバス「下田農業ふれあい館」下車
【お車をご利用の方】
  • 国道51号線を千葉市街方面から吉岡十字路を右折

  • 国道126号線を千葉市街方面から大草交差点を左折、最初の交差点を左折、千城台駅交差点を右折

 1.白幡神社(若葉区旦谷町215)

白幡神社

梵天塚

祭神署田別命(ほんだわけのみこと)・大山昨命(おおやまくいのみこと)菅原道真(すがわらみちざね)を祀る。創立年代は不詳であるが、境内に「延宝五丁巳年(1677年)」と銘した碑石がある。明治42年(1909)9月29日に日枝神社・天神社を合祀した。

・石鳥居:大正8年(1919)11月1日に瀧田志摩之助が寄進した。
・両部(りょうぶ)鳥居(前後に副柱・石鳥居の奥):令和元年(2019年)の台風15号により倒壊し、2020年に再建した。

・梵天塚:白幡神社の隣に【梵天塚(ぼんてんづか)】という出羽三山の供養塔が並んでいる、竹や紙で梵天を作り8月に供養する。古いものは安政2年(1855)二月のものがある。出羽三山供養塔の中に、道標を兼ねた秩父供養塔がある。(秩父にある三十四か所の霊場を巡った記念として、供養塔を立てることが多い。)

・その他:道祖神、石燈籠、狛犬、庚申(こうしん)塔

両部鳥居

本体の鳥居の柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根がある鳥居。

 2.馬頭観音(若葉区旦谷町340-1)

馬頭観音

馬頭観音2

昔、集落の馬を繕う(つくろう)場(馬の蹄鉄をつける場所)だったところに建立された馬頭観。文字だけで馬頭観音と刻まれている。今は竹藪に覆われてしまい、はた目からはその存在をうかがい知ることはできないが、この地で馬が大事に、また重要な家畜として飼育されていたことの証だといえる。

馬頭観音

馬の頭を頭上に載せ、または人身馬頭で、怒りの形相をした観音の化身。俗に馬の無病と安全を祈るとされる。

 

 3.薬師堂(若葉区旦谷町269)

薬師堂

如意観音像

本尊が室町時代の木造薬師如来坐像(高さ15.4cm)創立年代は不詳である。病を除き、心身を安楽にするといわれている。
・大師堂:二棟あり、集会所の前の堂内には三基の弘法大師像が納められ、一体は首の部分が
なくなっている。集会所の左脇の堂内にも弘法大師の立像が納められており、この立像は、先暮らし並木から移されたものであるという。

・地蔵菩薩立像:寛保元年(1741)3月に旦谷村が建立した石仏(高さ110cm・横38cm)で、釈迦入滅後、弥勒仏の出生するまでの間、無仏の世界に住して六道の衆生を教化・救済するという。

・その他:六地蔵、秩父三十四番観世音供養塔、如意輪観音像、子安観音像

 4.道標(秩父供養塔)(若葉区旦谷町字堂脇232手前)

\片岡先生一押し史跡/

4道標

薬師堂の当方三叉路にある石碑(高さ70cm・横27cm・奥行18cm)で、正面には安政二年(1855)八月吉日と記されている。右側と左側には、それぞれ秩父参りに行った人々の名が刻まれており、その多くは「何某 妻」となっている。当時、集落に住む女性たちが連れ立って秩父へお参りにいったことを示している。その当時は、女性たちは、個々の名前で記されることがなかったのだろうが、農作業の合間に連れ立って旅行することができたのは、豊かな地だったのだと想像がつく。

道標

道路の辻や街道の分岐点に立てられる交通標識のこと、車による交通が発達する以前に設置され、道や方向を指し示している。石で造られたものは今日まで残っているものが多い。

  Aポイント

Aポイント1

Aポイント2

「道標」を越え、2股に分かれた分岐を右に曲がり、進むと、道路の向かい側に赤い壁の家が見えてきます。その対面に左に入る道があり、そこを進むとゆるやかな山道に入る。山道を抜けると、「堂谷津の里」に出る。

堂谷津の里

市民ボランティアや地元の方により、里山の環境や景観を保全する活動が行われている。散策路の整備や田植え体験なども実施しており、四季折々の美しい自然を楽しむことができる。

谷当里山計画 NPO法人バランス21(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

 5.道標(秩父供養塔)(若葉区谷当町360)

5道標

谷当町方面に進むと、左手に、千葉市汚水処理場のところで十字路となるが、その手前に道標(高さ116cm・横32cm・奥行23cm)があり、正面に「明治二十二年(1889)三月十五日 秩父三十四番観世音供養塔」と記され、右側は「右 坂戸 馬渡道」左側「作場道」(いずれも現在の佐倉市方面)と刻まれている。

 6.姥嶽(うばたけ)神社(若葉区谷当町481)

6姥嶽神社

祭神は、天候支配の神である大山昨命(おおやまくいのみこと)・農業開拓の神である大巳貴命(おおなむちのみこと)であり、安永4年(1775)八月二十日に創建した。

・庚申(こうしん)塔:参道の入口の左手に宝永6年(1709年)建造の青面金剛王像(高さ148cm・横38cm・奥行25cm)がある。青面金剛は、病魔・病鬼を払い除く大威力があるという。

・その他:道祖神、疱瘡神(ほうそうがみ)、狛犬、地神(じしん)塔

・水道有

疱瘡神

疱瘡とは天然痘のことを指し、疱瘡神は厄病神の一種で疫病をもたらし、はやらせる神である。
病気の原因とされる疫病神を疱瘡神として祀ることで、感染者の病状が平癒するよう祈った。また病の侵入を事前に防ぐために、村境にしめ縄を張ったり、呪物を掲げたりする疱瘡送りの行事がある。

  7.道標(秩父供養塔)(若葉区谷当町511番地先十字路)

7道標

7道標2

姥嶽神社から真照院方面に進むと、十字路となる。この前方、左手に道標(高さ75cm・横23cm・奥行20cm)があり、「秩父三十四番観世音供養塔 大正二年(1913)十二月」と正面に刻まれており、右側には「内田塩古道」、左側には「千葉街道」、裏面には「坂戸 馬渡佐倉之道」と刻まれている。

  8.地蔵堂(若葉区谷当町75)

8地蔵堂

堂内に弘法大師が爪で彫ったと言い伝えれれている石の地蔵が祀られている。

平成11年8月に再建された立派な堂である。

  9.わたしの田舎 谷当工房(若葉区谷当町70)

9谷当工房

年間を通じた自然・農業体験の提供や地元の農産物を使った味噌やピザなどの手作り教室、麹・味噌の製造など谷当町の自然や里山の地域資源を活かした体験工房。(体験は事前要予約)

  • 営業時間 9時から20時(不定休)
  • 工房内のトイレ使用可能(工房の方に声をかけてからご使用ください)
  • 工房外のテーブル・ベンチにて休憩可能(工房の方に声をかけてからご使用ください)

わたしの田舎谷当工房公式HP(外部サイトへリンク)(別ウインドウで開く)

  10.眞照(しんしょう)院(若葉区谷当町63)

10真照院2

10真照院

谷当町の集会所を兼ねており、集会所の中に等身大の真言宗・本尊の木造薬師如来立像(161.5cm)が安置されている。制作は江戸時代・享保12年(1727年)・光祐作とある。

(普段は集会所は閉まっているため、見ることができません。)

・三十二夜塔:境内の左手に延享元年(1744)に講中が建立した石仏(高さ74cm・横33cm)がある。陰暦二十三日の夜、月待ちすれば願い事がかなうと信じられている。

・その他:道標、秩父供養塔、納経供養塔(廻国塔)、弘法大師座像、無縫(むほう)塔、すまんど、まつくれば

 11.道祖神

11道祖神

谷当町入口付近に右側が崖として高くなっている場所があり、大きな銀杏が目印で、そのふもとに小祠があり、道祖神が祀られている。

道祖神

村の守り神や道路の悪霊を防ぎ、行人を守護する神として、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる。

 

  12.大宮白幡神社(若葉区下田町713)

12大宮白幡神社

 12大宮白幡神社の馬頭観音

集落から長い階段を登った高台にある下田の氏神様。本殿の前の2本の大きなご神木と朱色の柱の本殿が特徴的。創建は不詳であるが、明治43年(1910)十月一日、それまで別立であった大宮神社(祭神・大宮比売命)と白幡神社(祭神・誉田別命)を一社とした。現在の社殿は、昭和49年10月に新築されたもの。

・馬頭観音像:境内の左手に石碑(高さ78cm・横27cm・奥行18cm)があり、正面に「明和二乙酉天(1765年)十一月吉日下田村」と刻まれている。

・その他:石鳥居、手洗石、疱瘡神、富士登山記念碑、第六天、橿原神社、愛宕神社、地神塔(五角柱)
 

 13.道祖神

13道祖神

大宮白幡神社の本殿左手を下り、下田町入口付近に小祠があり、道祖神が祀られている。

 Bポイント

Bポイント

大宮白幡神社の本殿を正面に左手に進み、下りの細い山道の途中、道祖神を通り過ぎ、下っていくと、下田町の集落の入口に出る。次の史跡の「地蔵菩薩像」へは出たところを右方向へ進む。

 14.地蔵菩薩像(若葉区下田町)

14地蔵菩薩像

慈眼寺の前の道を直進すると用水路上に地蔵像(高さ83cm・横27cm・奥行18cm)があり、昔この村の婦人たちに病気や悩みごとがあると、この地蔵像を洗い清めたといわれ、摩耗してつるつるになっている。正面「 童男覚心天位 享保十三年戊申(1728年)二月十一日 施主下田村婦人会」と刻まれている。

 15.慈眼(じがん)寺(下田チビッコ広場)(若葉区下田町211)

15慈眼寺2

15慈眼寺

真言宗豊山派の寺院である。金親町の金光院の末寺で、本尊が阿弥陀如来立像(高さ54.8cm)であるが、創立年代は詳らかではない。本堂には観音菩薩座像・薬師如来坐像・弘法大師座像・如意輪観音座像が納められている。
・上人塚:本殿の左手奥にあり、「文政四年九月法印孝寛」などの住職の石碑が並んでいる。
・庚申塔:境内の左手に小祠があり、その中に(高さ130cm)程の石造の庚申塔が奉納されている。この庚申塔は、もとは下田新開1026番地の境外所有地にあったが、御成研究学園都市造成のため、平成4年4月に移築された。
・如意輪観音像:境内の左手の小祠があり、中に石像があり(正面) 真言法印寛政三癸亥(1791)四月と刻まれている。

・その他:馬頭観音、高野山参詣記念碑、天神社、大師堂、子安堂、道標(秩父供養塔)、梵鐘(ぼんしょう)
 

庚申

中国の道教では、人間の体の中に三尸(さんし)の虫がおり、干支の庚申の晩(60日に1度巡ってくる庚申 (かのえさる) の日の夜)に人が眠ったすきに体から抜け出して天帝にその人の罪を告げに行き、その結果、天帝の怒りをかって早死にさせられるので、その夜は身を慎んで夜明かしをするという。この信仰が古代より日本に伝わり、江戸時代には修験道や神道でも同時の信仰を説いたため、全国に広がった。

 Cポイント

 

 畑の中に道がありそこを通ると、姥の墓が見えてきます。また17.大井戸館跡へ向かうには、姥の墓を正面に左手側に畑の中を抜ける道があり、そこを通って向かいます。

 16.姥の墓(茶福神)

16姥の墓

16姥の墓2

大井戸館跡よりほど近い茶畑(以前は塚状になっていたが、現在は平らになっている)の中に、石棺の一部と御神体と思われる石三体(宝筐印塔)が地元の人たちによって安置されている。
この墓は、館に居住していた老婆の墓であるといい、石棺の一部と安山岩の丸い石が三個(中央が高さ16cm・横11cm・右側が高さ18cm・横11cm・左側が高さ15m・横10cm)が台上に並んでいる。この墓は、地元では、かぜの神様、咳の神様、足の神様とも言われ、治るとお礼に甘酒を差し上げたという。

 17.大井戸館跡

17大井戸館跡

寺跡の北側の竹薮の中に空堀と土塁があり、中世の館跡であるという。築造年代などは不詳であるが、保元元年(1135年)に千葉常胤が下総国の国司に任じられたとき、孫の胤時が白井庄弥富郷を支配したことから、彼か、又はその一族が居住したものと思われる。

空堀(からほり)

中世時代の城に多く見られる水の入らない堀。

土塁

土塁は石垣と同じように城郭の防衛線であり、傾斜ができるように土を盛ったもの。

  18.薬王寺跡(若葉区大井戸町617-2)

18薬王寺1

18薬王寺2

現在、大井戸町集会所になっており、念仏堂ともいわれている。金親村金光院の別院であり、本尊は江戸時代の木造・薬師如来立像(像高36.8cm)である。

・梵鐘:高さ55cm・直経37cmであり、集会所の左側に揚げられており、
「諸行無常 是生滅法 生滅滅亡 寂滅為楽 下総国千葉郡大井戸村中 為各々先祖代々 干時天保十二丑(1841年)九月 薬王寺住負普宣代」と刻まれている。
・薬師堂:境内左側に小祠があり、内部に弘法大師像が納められている。

・庚申塔:境内の左側に石碑(高さ97cm)があり、正面に「庚申像」、右側に「奉造立青面金剛童子 元禄十四年辛已(1701年)十月八日」と刻まれている。
・その他:観音菩薩像、二十三夜講供養塔、如意輪観音菩薩像、地蔵菩薩像、南無六部供養塔(廻国塔)、大師遍照金剛碑、道標

 19.大宮神社(若葉区大井戸町614)

19大宮神社1

19大宮神社2

古くは大宮大権現といい、大宮比売命(おおみやひめのみこと)・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神としている。
創建年代は不詳であるが、明治43年(1910年)11月に大井戸町 字浅間ビョにあった浅間神社、
明治44年に道祖神社を合祀した。神社正面に一対の大わらじが飾られている。

・石造鳥居:平成4年10月に村中が新たに建立した。
・道祖神:境内の左手にあり、宝暦人年(1758)二月に薬王寺氏子が建立したもの(高さ60cm・横26cm・奥行26cm)で正面に「道祖神」、右側面に「大井戸薬王寺氏子者 金親村道師金光院宥喜」、左側面に「宝暦八戊寅年二月」と刻まれている。

・その他:狛犬、手洗石、高野山参詣記念碑、弁財天、金毘羅大権現、疱瘡神、天神社、天照大神

 20.道祖神(若葉区大井戸町740)

20道祖神

県道浜野四街道長沼線から大井戸の集落へ入る道の左手に石仏(高さ75cm・横29cm・奥行12cm)があり「宝暦十辰(1760年)二月吉日供養導師金光院 為藥栄也 大井戸村別当薬王寺」と刻まれている。

 21.地蔵菩薩像(若葉区下田町1467-3)

21地蔵菩薩像

下田町の集落を過ぎて県道、浜野四街道長沼線に出る道の途中の右手に地蔵菩薩像がぽつんと建っている。昔はここで川供養を行ったといい、耕地整理により川がなくなったが、この地蔵菩薩像(高さ65cm・横26cln・奥行15cm)だけで建ち、正面に「地蔵菩薩像」、右側面「明治二十三年(1890年)四月十三日」、左側面「更科村下田」と刻まれている。

 その他:わかばの里(体験農園・トイレが借りられます)(若葉区下田町61)

わかばの里1 わかばの里2

大宮白幡神社からほど近い立派な古民家のお宅は「わかばの里」として、農業体験や手作り他県を楽しむことができます。(体験は「じゃらん」にて要事前予約(外部サイトへリンク)

・敷地内の独立トイレ使用可能。(借りる際は、お宅の方に一声かけてください。)

 

このページの情報発信元

経済農政局農政部農政課

千葉市中央区千葉港1番1号 千葉市役所高層棟7階

ファックス:043-245-5884

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