緊急情報
ホーム > しごと・産業 > しごと・産業・企業立地 > 農林業 > 史跡・スポット(いずみウォークコース~巨木と史跡から地域の歴史をたどる~)
更新日:2023年4月3日
ここから本文です。
紹介する巨木は、環境省が実施する巨樹・巨木林調査において対象となる以下の調査対象の定義にあうものを巨木として紹介しています。
出典・参考:
「さらしな風土記」(更科郷土史研究会編)「更科地区の巨木・古木・名木等の調査」(更科郷土史研究会編)
「仏像」(発行昭和59年6月6日株式会社みずうみ書房)
「千葉市内仏像彫刻所在調査報告書」(千葉市教育委員会)
スタート・ゴール地点となる「富田さとにわ耕園」。春のシバザクラ、秋のコスモスと季節の花々と里山の自然を散策しながら楽しむことができる公の施設です。収穫体験や新鮮な野菜や卵を購入できる直売所もあります。トイレ、休憩用ベンチもあります。
千葉都市モノレール「千城台駅」から
【お車をご利用の方】
富田町から小間子へ抜ける道路脇の桜の木のふもとに馬頭観世音(マツクレバ跡)が3基ある。
この馬頭観音の左手奥に以前、炭焼き窯があった。そのあとが今も残っている。炭焼き窯は20軒に1窯、町内に5か所あり、この炭焼き窯は一番最後まで残っていたが、2019年の台風15号により壊れ、そのままになってしまっている。
富田墓地に行く道を進むと左手に雑草が茂る塚がある。
この塚を「ハナンドン塚」といい、火の神を祀るという。3月3日のひな祭りの夕方に子供達が集まり太鼓を叩き、ハナンドンノホトケサマ来年ゴザレマタハルゴザレと言いながら一軒一軒の家を回っておもちゃや、お茶などをもらったそうである。この行事は、村に火災が起らないようにと願って行われたそうで、昭和40年代までは行われていた。和製ハロウィンともいえるこの行事からヒントを得て、千葉大学の学生たちが「いずみハロウィンキャンドルナイト」の構想を思いついた。
字山王にあり、創立年代は不詳であるが、本尊は十界勧請で土気町の善勝寺の末寺
「藪肉桂(ヤブニッケイ)」ともいう。富田町の民家の宅地内に、ニッキノキがある。
中国・インドシナ原産で、九州・沖縄で野生化している。クスノキ科クスノキ属の喬木。
葉が大きく、先がとがり芳香(シナモンの香り)がある。古くから栽培され樹皮を香料、薬用にする。
御成街道を超えて、富田分校に向かう道の途中、右手に曲がる道があるところの左手の民家入り口の道路沿いの高くなった所にある巨木。
枝は道路側に勢いよく伸びている。根元の土が削られ、根が露出し、根が土手を抱え込んでいるようにみえる。
邪那岐命、伊邪那美命、誉田別命、菅原道真を祀り、創立年代は不詳であるが、元禄元(1688)年に再興された。
祭神は磐長姫命であった。明治41(1908)年6月10日に中田町の御霊神社に合祀した。
江戸時代から明治時代にかけては力石を用いた力試しがよく行われていた。神社の祭りで出し物の一つとして力試しがなされることもあった。力石は楕円形のつるっとした石が多い。人が集まる神社などに置かれた。
佐倉古道際に聟え立つ巨木。地上2mぐらいの所で2本に枝分かれしている。道路際であるが竹林内でもあるので見過しそうになってしまう。上を見上げるとかなり高い木であることがわかる。目印は「宮田57」と書かれた電信柱と木のそばに立つ伝言板。
古道(字宮田脇1118番地)に石段(雨の日はすべりやすいので注意が必要)があり、奥に小祠がある。
文化12(1815)年9月25日に再建されたもので、祭神は埴山姫命で元は「消善神」といわれていた。御霊神社の境外末社である。
・幹周4.66m、高さ25m、枝の広さ20m「樹齢推定三百年以上」
・地上0.5mで枝分かれの幹周7.64m
字山王台にあり、誉田別命、伊邪那美命、天照大神、素蓋鳴命、他一柱を祭神とする。
創立年代は不詳であるが、寛永2年12月2日に字六所より神社を遷座し、社殿を再建したという。明治43年11月25日には字花輪の天神社を本社に合祀した。また、この神社は、野呂の六社神社から分社したともいわれている。
妙音坊の近くに「千葉市保存林(棒1本、榎1本)」があり、その右側に社殿が建っている。
この中の祠に中に御札があり。
(表面)南妙法蓮華経
(裏面)明治三十八年(1963)十一月二十日
本住山真光寺住職日義更科村古泉住小池大三郎と記されている。
また祠の裏手に「国土地理院の水準点」が設置されている。
字本郷にあり、中田町の真光寺(日蓮宗)の塔頭の寺院で、寛文12年6月13日に大石寺十七世日精上人に教化されて改宗し、日意(妙音院)が開基となった。
大正のはじめ頃まで、僧の学問所として、この寺院も学僧の宿泊寺として栄えたという。
折戸にあり、創建年代は不詳であるが、祭神は、誉田別命、加々勢男命(かかせおのみこと)、面足尊(おけだるのみこと)、大山咋命、怪根尊(かしこれのみこと)、他1柱がある社殿は、嘉永二年(1849)二月に再建した。
参道の左手にある道祖神の背後には男根を形どった石が多数ある。また境内には大小の塚が数多く築かれている。
御成街道を千葉ウシノヒロバへ向かう坂道の手前のお宅にある樹齢約400年といわれる椎の老木。御成街道、一里の目安として植えられたものであるといわれ、大正ごろまでは、向かい側のお宅にも、大きな椎の木があった。この両方の大木で、当時、アーチ形になったという。
この地点は標高43mで、千葉市千城台東の提灯塚へ、また八街市上砂の「クヌキ山」まで、それぞれ約4.71kmのところである。
幹周4.40m、瘤の周り5.18m、高さ15m、枝の広さ15m、樹齢400年以上。
富田さとにわ耕園内にあった溝腐れ病にかかり倒木の危険があった杉林を伐採し、新たに広葉樹の森を育てる「イオンの森」の植樹活動が平成28年2016年5月4日に行われた。(協力:(公財)イオン環境財団)
クヌギ、コナラ、山サクラ、山モミジ、8種類約8000本の広葉樹が市民や近隣住民、ボランティアなどにより植樹され、5年が経過した今、苗木から木々へ成長した姿を楽しむことができる。
富田さとにわ耕園内にある池。水深が約3m、面積が約1万6500平方メートルである。
カモなどの渡り鳥が水面を気持ちよさそうに泳ぐ様子を眺めることができる。またこの池には白蛇が住んでおり、人が近づくと引きずり込まれてしまうため、特に子供たちは絶対に近寄って
はいけないという伝承がある。
池周辺は、緑豊かな森林が広がり、また、桜の木が多く植えられており、開花時期には桜見物に訪れる人で賑わっている。令和2年10月には、池周辺に安全柵が新たに設置され、安心し散策することができる。
田池の水門付近に石祠(高さ110cm、横51cm、奥行55cm)があり、中に木造の弁財天(高さ33cm、横13cm)が納められている。弁財天は、七福神の紅一点、梵名は「サラスバテイ」という。インド教ではもともと農耕神であった。その後、言語や知恵の神バーチが集合され、弁説や音楽などもつかさどる神になった。
(裏面)昭和53年(1978)7月吉日
発願主 富田町仲田茂春
開眼主 正福寺勝善
刻師 八街町砂重照
と刻まれている。
このページの情報発信元
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください