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更新日:2025年3月14日
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石井林響(1884年から1930年)は、現在の千葉市緑区出身の、明治時代後半から昭和初期に活躍した千葉県を代表する日本画家です。明治34年(1901)に10代半ばで上京すると日本画家橋本雅邦に師事し、初期には日本美術院の画風に学び、「石井天風」を名乗りました。大正中期からは中国明清の画風を取り入れ文人画風の作風に転じ、「林響」を名乗るようになります。大正15年(1926)に現在の千葉県大網白里市に居を移し、昭和5年(1930)に亡くなりました。
本作は天風時代の作品で、神護景雲3年(769)、僧道鏡に皇位を譲るよう宇佐八幡の神託があったと称徳天皇に奏上されたことを受け、その真偽を確かめるため勅命により宇佐八幡に赴いた和気清麻呂を描いています。石井は、巨木が立ち並ぶ鬱蒼たる木立の中を進む清麻呂、従者、白馬を画面左右の前景となる巨木とともに細部まで入念に描く一方で、道の向こう側の木々を靄がかかったように描くことで空間の深さを表現しています。上部の枝や欄干に施されたハイライトによって自然光とは異なる光の状態が表され、空間の神聖性を表現しています。23歳の若描きでありながら、大画面を破綻なくまとめる構成力、馬の毛描きの謹直な線などに見られる洗練された画技は、「才筆」という当時の評価を裏付けるものです。また本作は、明治40年(1907)に文部省第一回美術展覧会に出展され入選を果たしており、石井はこのことで、画界への本格的デビューを果たしています。このことから本作は初期の代表作の一つと位置づけられます。なおこの出品の後、近年まで本作は所在が不明となっていましたが、千葉県の個人宅でほぼオリジナルの状態で伝えられました。令和元年(2019)に千葉県立美術館が寄贈を受け、令和2年(2020)の修理により軸装であったものを額装としています。
本作は、明治後期の日本画界を特色づける浪漫主義的歴史画のひとつでもあり、林響の画業の中での重要性だけでなく、日本近代絵画史の流れを占める作例であり、千葉県の絵画史上特に優秀な作品として重要です。
名称 | 和気清麿(石井林響筆) |
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ふりがな | わけのきよまろ(いしいりんきょうひつ) |
指定(指定年度) | 県指定(令和6年) |
区分/種別 | 有形文化財 絵画 |
時代 | 明治 |
所在地 | 中央区中央港(千葉県立美術館) |
所有者 | 千葉県 |
公開/非公開 | 特定日公開 |
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